2018年10月4日木曜日

訪看さん

訪看さんが来てくれて、客観的に報告したら、少し気持ちが落ち着いた。やっぱ、訪看さんはσ(^^)に必要だったのだと改めて思った。

一昨日、大トラブルになった風鼓さん。直腸脱が治まらず、数時間を掛けて落ち着かせた。抗精神病薬は使わないでおこうと、必死で耐えた。シーツ4枚、ズボン2枚、シート1枚を汚す。雨の中、夜中に洗い物をして、片付けが終わったのは深夜。様子を見ながら、寝落ちてしまったのだけど、寒さで目覚めた。
昨日の疲れを引きずりながら、洗濯を改めてして干す。こういう作業が前日を思い出させて辛かった。で、昨日は予定通り、何度も外出をしなければならなかった。様子を見て、ホワイトボードに書いて、薬を取りに行くことを伝えて出かけた。薬だけなので、電話をしておくと準備をしておいてもらえる。往復と支払いで20分も有れば帰れる。悪い予感がしていたので、σ(^^)の診察はカットした。

帰ると、居間から風鼓さんの脚が出ているのが見える。(>_<) うつ伏せに倒れているのだ。水無月のリードが横に落ちている。水無月は、風鼓さんの頭をペロペロと舐めていた。
頭に浮かんだのは、死んでいる! だった。起こすと生きていた。またまた左手を打撲しただけだったのだけど、一人で起きられず倒れていたのだ。
様子から推測すると、σ(^^)の留守中に水無月をトイレに出そうとしたようなのだ。庭に降りて、用を足させたように思われる。で、部屋に上る時にこけた。(>_<) 自分一人でもトイレに行くもの苦労するのに。何をする! 死んだと思ったやろ! (T_T)  
左手は、またまた真っ黒になって青タン色に変色。そして、腫れている。折れてはいないのと、左手なのが救い。

手当をして、滾々と言い聞かせるも、既に記憶がない。水無月にリードを付けたのだけど、ここまで逃げようだとか、外に行こうとかせずに、大人しく成行きを見ていた。水無月なりに心配だったのだろう。

夕方、落ち着いたので、σ(^^)は溜まったものを捨てに、さわさんに行った。もちろん、安全を見極めてなのだけど。食事も普通にしたし、寝て待っていると言っていた。横になって、うとうとするまで確認して外出。一日に二度のトラブル無しを信じた。信じたかったのだと思う。

1時間半ほど、さわさんに滞在して帰ると、とんでもないことが起こっていた。(>_<)
風鼓さんは、全ての記憶をなくして寝ていた。一瞬ホッとした。で、何かの違和感と音が。台所に行くと・・・・。ガスコンロが警報音を立てている! 直ぐにオフに。冷蔵庫が開けっ放しになって、これまたピーピーと音を出している。(>_<) 
流しには、うどんと取置いてある野菜の炊いた物が混ぜ合わせられて、コテコテになって放置されていた。
このところ、台所に行くことはなくなっていた。一人で歩けないと思い込んでいた。昼間の転倒も足が弱っているからだと思っていたので、全く油断だった。(>_<)

で、ガスは、昔にも点けっぱなしがあったのだけど、家庭内配管の元栓を止めてあり、コックの栓の部分を取り外してあったのです。もし、もはや習慣になったこの方法をしていなければ、どうなっていたか・・・・・。ぞっとした。
水無月の食器が、流しに置かれていた。またまた、水無月の食事を作ろうとしたのは明らかだ。

怒りました。感情的になってしまいました。かろうじて手は出さなかったのですが、悲しくて泣きながら怒りました。
薬を飲ませて寝たのを確認して、σ(^^)は酒を飲んで、どうして良いのか分からなくなっていました。辛くて、逃げ出したかった。クタクタなのだけど、寝られずに長い夜になってしまった。

それを、今朝まで引きずっていたのです。在宅介護の限界を知った気がした。留守中に何が起こっても後悔しないと覚悟をしていたのだけど、実際に起こってみるとどうにもならないほど気分が沈んでいくのを止めることが出来なかった。
どうにもならないと思ったのだけど、こんなことが繰り返して起こるのだろうと思うと、気持ちが立ち上がることが出来ない。

訪看さんが来てくれて報告として話したら、やっと落ち着くことが出来た。大変でしたねと、そして辛かったでしょ! と言ってもらうと、ホッとして涙がまた出た。

まだ、先は長いと思う。こんなことが起こったのも、実は風鼓さんの体調が良いからなんです。動き回れて、水無月の世話をしようと思えるわけですからね。

訪看さんに言った。寝たっきりになってくれたらと何度も思ったと。もっと、強くならねば。

たくさんの方が、心配してメールを送って下さった。すみません。m(__)m