最近、自分で書いた覚えのないキーワードで、風の書に来られる方が増えているのは気づいていた。昨日は、某化粧品メーカー?が、やたらと風の書を繰っていた。おそらく、検索で掛かったのだけど該当記事が無いので探していたのだろう。無いよ!いくら探しても。(笑) また、一丁ぐろ古墳でも数名来られていた。σ(^^)、全く知りません。(笑)
で、何故かというと、右サイドのリンクの記事が掛かっているのですな。RSSになってるから、リンク先ブログの最新記事の冒頭が出てくる。それが検索にかかるのですな。で、その元サイトより先に風の書が掛かっている例も。(^^ゞ 上の化粧品は、「古都☆古都」さんの記事、古墳は「ふじみの日記」さんの記事です。
Google検索は、Googleのブログが優先してかかる? 風の書のレンタル先はGoogleです。
さて、奥飛鳥に行ってきます♪ 幸い予報ほどの雨にもならないような・・・。人徳を頼りに出発♪
2011年10月14日金曜日
明日は雨模様
近世の飛鳥を追いかけた今週も終わり(笑)、明日はまた古代に戻ります。
飛鳥資料館の特別展「飛鳥遺珍 -のこされた至宝たち-」のギャラリートークと、奥飛鳥探訪というイベントに参加します♪ 少人数のようなので、とっても楽しみです♪ 主催者には申し訳ないのですが。(^^ゞ
このイベントに関しては、本日発行の飛鳥遊訪マガジン第117号の寄稿を見てください。2回目の11月19日分は、まだ受付中だと思いますので。(^^)
風人には、今月のテーマ(笑)「水辺の祈り」にも関連するので、自分だけではない視点でも飛鳥川上流を見てみたい。まっ、三脚は持っていけないのでコンデジになるけど、風景写真撮影のアドバイスなるものもこのイベントには付いている♪プロの目線も知りたいなと。
同行される奈文研の景観研究室・写真室・学芸室ノ先生方・奥飛鳥の総代さん・さららの店主などが、どのような話をされるのかも興味深い。きっと両槻会の奥飛鳥行とは、全く違った展開になるだろう。何処まで行くのだろうか・・・。予定では、入谷と書いてあるのだけど・・・。まさか大仁保神社まで?
最近、風鼓さんの体調が悪い。今日も寝ている。どこと言って悪いところは無いようなのだけど・・・。もっと、かまってやらないといけないとは思うのだけどね。(-_-;) 食事も手抜き気味だしね。たぶん、気温差が大きいのが原因だと。軽い風邪ひき症状みたいなんだけど、すっきり抜けないようだ。明日は、元気になって下さい。(-人-)
週末風人
土曜日
飛鳥資料館秋期特別展示のギャラリートークと奥飛鳥行♪
夕方は有間皇子邸♪
日曜日
家事と休養の予定。橿考研博と万葉文化館特展に行きたいとは思ってるが。
飛鳥学冠位叙任試験 飛鳥版科挙の問20の件ですが、受験者の中にも引っかかっている方も居られるようで、一昨日あたりから「菅笠日記」・「くすりや」などのキーワード検索で来られている。で、なんと、この問題の正解率が40%を超えているってのは何なんだ!(笑) みんな知ってるの?(^^ゞ まっ、「くすりや」って屋号は、他のよりそれらしいって感じるけどさ。
飛鳥資料館の特別展「飛鳥遺珍 -のこされた至宝たち-」のギャラリートークと、奥飛鳥探訪というイベントに参加します♪ 少人数のようなので、とっても楽しみです♪ 主催者には申し訳ないのですが。(^^ゞ
このイベントに関しては、本日発行の飛鳥遊訪マガジン第117号の寄稿を見てください。2回目の11月19日分は、まだ受付中だと思いますので。(^^)
風人には、今月のテーマ(笑)「水辺の祈り」にも関連するので、自分だけではない視点でも飛鳥川上流を見てみたい。まっ、三脚は持っていけないのでコンデジになるけど、風景写真撮影のアドバイスなるものもこのイベントには付いている♪プロの目線も知りたいなと。
同行される奈文研の景観研究室・写真室・学芸室ノ先生方・奥飛鳥の総代さん・さららの店主などが、どのような話をされるのかも興味深い。きっと両槻会の奥飛鳥行とは、全く違った展開になるだろう。何処まで行くのだろうか・・・。予定では、入谷と書いてあるのだけど・・・。まさか大仁保神社まで?
最近、風鼓さんの体調が悪い。今日も寝ている。どこと言って悪いところは無いようなのだけど・・・。もっと、かまってやらないといけないとは思うのだけどね。(-_-;) 食事も手抜き気味だしね。たぶん、気温差が大きいのが原因だと。軽い風邪ひき症状みたいなんだけど、すっきり抜けないようだ。明日は、元気になって下さい。(-人-)
週末風人
土曜日
飛鳥資料館秋期特別展示のギャラリートークと奥飛鳥行♪
夕方は有間皇子邸♪
日曜日
家事と休養の予定。橿考研博と万葉文化館特展に行きたいとは思ってるが。
飛鳥学冠位叙任試験 飛鳥版科挙の問20の件ですが、受験者の中にも引っかかっている方も居られるようで、一昨日あたりから「菅笠日記」・「くすりや」などのキーワード検索で来られている。で、なんと、この問題の正解率が40%を超えているってのは何なんだ!(笑) みんな知ってるの?(^^ゞ まっ、「くすりや」って屋号は、他のよりそれらしいって感じるけどさ。
2011年10月13日木曜日
近世の飛鳥が少しだけ
本日、2つ目の記事。
調べる方向を少し変えてみた。とっても進展したので、記録しておこう。
岡寺門前には
調べる方向を少し変えてみた。とっても進展したので、記録しておこう。
岡寺門前には
- 天明3(1785)年、二軒の造酒屋があった。善兵衛と伊兵衛。
- 文政13年(1830)、「米屋」(四軒)・「薬屋」(三軒)、「葛屋」・「中屋」・「車屋」(各二軒)、「樽屋」・「横屋」・「傘屋」・「面堂屋」・「醤油屋」・「きぬや」・「まんじゅうや」・「はりまや」・「蕎麦屋」・「色屋」(各一軒)の屋号を冠する家が存在した。 (面堂屋さんは、今、食堂をしている「めんどや」さんに繋がるんだろうな。
- 江戸後期には、7,8軒の旅籠屋が存在した。天保13(1842)年には、薬屋源太郎・かせや平兵衛・玉木屋清五郎・花屋平四郎・京屋幸助・車屋嘉兵衛・玉家清右衛門がこれを営んでいたが、旅客の獲得をめぐる争論が起こった。(平たく言えば、客引きで揉めたようです。(^^ゞ)
が、存在したようです。(続明日香村史下巻による)
これでは、益々何処に泊まったかなんて、菅笠日記に書いてなければ分からないんじゃない?! ほんまに宿帳とか残ってるのか?
風人も、宣長の同行者(本居太平)の日記「餌袋日記」の一部を読みましたが、飛鳥を連れ回されてしんどいとしか書いていないようです。17歳の青年には、ただの田舎だったのかも知れませんね。
全く知らなかった近世の飛鳥を、少し知ることが出来て良かったとしておきましょうか。(笑) 学生の時にこのくらい勉強しておけば、きっと先生と呼ばれる人になっていた。(爆)
あっ! 拍手コメントに、同様に訝しく思われた受験者の方が書き込みをしてくださっています。
コメント、ありがとうございます♪ なかなか良い成績をお取りのようですので、表彰式?でお目にかかれますかね? まっ、飛鳥資料館の前で会っているはずなんですけどね。(笑)
風人も、宣長の同行者(本居太平)の日記「餌袋日記」の一部を読みましたが、飛鳥を連れ回されてしんどいとしか書いていないようです。17歳の青年には、ただの田舎だったのかも知れませんね。
全く知らなかった近世の飛鳥を、少し知ることが出来て良かったとしておきましょうか。(笑) 学生の時にこのくらい勉強しておけば、きっと先生と呼ばれる人になっていた。(爆)
あっ! 拍手コメントに、同様に訝しく思われた受験者の方が書き込みをしてくださっています。
コメント、ありがとうございます♪ なかなか良い成績をお取りのようですので、表彰式?でお目にかかれますかね? まっ、飛鳥資料館の前で会っているはずなんですけどね。(笑)
御宿 薬屋源太郎
拍手コメントありがとうございます♪ m(__)m
どうも性格が似ている方が居られるようで、こういうことになるとムキになって調べ始める!(笑) 本居宣長の菅笠日記の旅の同行者日記まで調べてくださった。感謝。m(__)m
しかし、「くすりや」は書かれていないようだとのことです。どうなっているのでしょうか!
岡村には江戸時代に「御宿 薬屋源太郎」があって、「くすりや」と呼ばれただろうことまでは分かってきた。しかし、宣長が泊まったという根拠は何処にあるのだろうか。在るから泊まったに違いないという、強引な推測しか無いのだったら、この問題は成立しないのではないかと思う。
問題
本居宣長が明和九年三月に飛鳥を訪れた際宿泊した宿の屋号は?
ア とうふや イ やおや ウ うおや エ くすりや
有料検定の問題をブログに書くのは、いけないのかも知れませんが、問題に疑問があるのであえて書きました。ダメでしたら、ご指摘下さい。直ぐに消します。
あっ! 確認してたら、既に主催者から問題と正解が公開されていました。(^^ゞ
http://www.asukabito.or.jp/information/2011/10/post-34.html
西国三十三所名所図会
「治田の神社の鳥居は岡の町の東がはにあり。是を入てすぐに四丁ばかり行バ岡寺也。南ハ多武峯よしの、西は橘寺へ四丁、壺坂道は北ハはせ伊勢かいどう、かくのごとく四方ともに名所なれば、此所に宿りて便宜ゆへ旅人多くはこゝに滞留す。旅舎端麗にして至って賑はし。・・・以下岡寺の記述」
この文章には、旅人が多くて岡寺門前が賑わっており、旅舎も綺麗で繁盛していると書かれています。しかし屋号は書かれておらず、果たして1軒なのか数軒の事を書いているのかは定かではありません。西国三十三所名所図会は、ウィキによると「暁鐘成の編集、松川半山・浦川公佐の画で嘉永6年(1853年)3月に刊行され」とあります。菅笠日記は「明和9年(1772)3月5日から14日まで10日間、吉野、飛鳥を旅した時の日記。」なので、この西国三十三所名所図会の書かれる約80年前の事ということになります。80年前が、どのような状況であったかはわかりませんが、あまり変わらなかったのかも知れませんね。
で、一昨日に主催者に問い合わせをした。出題の先生に聞いていただいているようで、中間報告として、そのように返事をいただきました。だって、問題が成立するのかって事になりません?
もし、宿帳が残っていたとしてもですけど、100点を取らせないためだけに作られた問題みたいな気がする。難しいっていうのとは違うんじゃないかな。ネットや書物を3日掛けて調べまくっても、まだ正解にたどり着けないってのは・・・。
風人は、これは知らないとして、☓にしたのですけど、4択なら25%の確率で正解したかも。で、受験者全員、そういうことになるかも。それでは、飛鳥を学ぶってことにはならないので、問題としてはダメってことじゃないのかな? 正解がどのように渡されたのかは風人は知らないけど、疑問に思った人は居なかったのだろうか。だったら、あまり検定を実施した意味もないのかもと・・・。
藤原宮の東面中央の門の名前を問う問題があった。難しいです!風人は自信は無かったけど、思いつく名前がありました。それは、藤原宮の図面とかをよく見ているので、いつかしら記憶に残っていたのだと思います。受験者は、難問である例として風人に見せておられました。けど、これは難しくても良いのです。間違っても良いのだと思う。だって、調べれば直ぐに素人にだって正解が見つかるんだもん。で、知識を増やすことが出来る。
「解説書が欲しいから参加した」というおばちゃんの意見を思い出す。自分の回答と正解を見比べて、自分の間違った点を見直す事が大事だと思う。そうして、覚えてゆくんだもん。正解と共に、概要でいいから解説が有ればなって思う。
点数だけが大事だった検定には意味はないと、辛口の感想で一件を締めくくっておこう。
「くすりや」の根拠が、史料的にはっきりしているという回答をいただければ報告します。
どうも性格が似ている方が居られるようで、こういうことになるとムキになって調べ始める!(笑) 本居宣長の菅笠日記の旅の同行者日記まで調べてくださった。感謝。m(__)m
しかし、「くすりや」は書かれていないようだとのことです。どうなっているのでしょうか!
岡村には江戸時代に「御宿 薬屋源太郎」があって、「くすりや」と呼ばれただろうことまでは分かってきた。しかし、宣長が泊まったという根拠は何処にあるのだろうか。在るから泊まったに違いないという、強引な推測しか無いのだったら、この問題は成立しないのではないかと思う。
問題
本居宣長が明和九年三月に飛鳥を訪れた際宿泊した宿の屋号は?
ア とうふや イ やおや ウ うおや エ くすりや
有料検定の問題をブログに書くのは、いけないのかも知れませんが、問題に疑問があるのであえて書きました。ダメでしたら、ご指摘下さい。直ぐに消します。
あっ! 確認してたら、既に主催者から問題と正解が公開されていました。(^^ゞ
http://www.asukabito.or.jp/information/2011/10/post-34.html
西国三十三所名所図会
「治田の神社の鳥居は岡の町の東がはにあり。是を入てすぐに四丁ばかり行バ岡寺也。南ハ多武峯よしの、西は橘寺へ四丁、壺坂道は北ハはせ伊勢かいどう、かくのごとく四方ともに名所なれば、此所に宿りて便宜ゆへ旅人多くはこゝに滞留す。旅舎端麗にして至って賑はし。・・・以下岡寺の記述」
この文章には、旅人が多くて岡寺門前が賑わっており、旅舎も綺麗で繁盛していると書かれています。しかし屋号は書かれておらず、果たして1軒なのか数軒の事を書いているのかは定かではありません。西国三十三所名所図会は、ウィキによると「暁鐘成の編集、松川半山・浦川公佐の画で嘉永6年(1853年)3月に刊行され」とあります。菅笠日記は「明和9年(1772)3月5日から14日まで10日間、吉野、飛鳥を旅した時の日記。」なので、この西国三十三所名所図会の書かれる約80年前の事ということになります。80年前が、どのような状況であったかはわかりませんが、あまり変わらなかったのかも知れませんね。
で、一昨日に主催者に問い合わせをした。出題の先生に聞いていただいているようで、中間報告として、そのように返事をいただきました。だって、問題が成立するのかって事になりません?
もし、宿帳が残っていたとしてもですけど、100点を取らせないためだけに作られた問題みたいな気がする。難しいっていうのとは違うんじゃないかな。ネットや書物を3日掛けて調べまくっても、まだ正解にたどり着けないってのは・・・。
風人は、これは知らないとして、☓にしたのですけど、4択なら25%の確率で正解したかも。で、受験者全員、そういうことになるかも。それでは、飛鳥を学ぶってことにはならないので、問題としてはダメってことじゃないのかな? 正解がどのように渡されたのかは風人は知らないけど、疑問に思った人は居なかったのだろうか。だったら、あまり検定を実施した意味もないのかもと・・・。
藤原宮の東面中央の門の名前を問う問題があった。難しいです!風人は自信は無かったけど、思いつく名前がありました。それは、藤原宮の図面とかをよく見ているので、いつかしら記憶に残っていたのだと思います。受験者は、難問である例として風人に見せておられました。けど、これは難しくても良いのです。間違っても良いのだと思う。だって、調べれば直ぐに素人にだって正解が見つかるんだもん。で、知識を増やすことが出来る。
「解説書が欲しいから参加した」というおばちゃんの意見を思い出す。自分の回答と正解を見比べて、自分の間違った点を見直す事が大事だと思う。そうして、覚えてゆくんだもん。正解と共に、概要でいいから解説が有ればなって思う。
点数だけが大事だった検定には意味はないと、辛口の感想で一件を締めくくっておこう。
「くすりや」の根拠が、史料的にはっきりしているという回答をいただければ報告します。
2011年10月12日水曜日
菅笠日記の続き
今朝、ヒントをいただいた。拍手コメントありがとうございます♪ m(__)m
「明日香風」の本居宣長の特集記事:宣長の見た酒船石:猪熊先生の寄稿文の冒頭に『岡寺の急傾斜の参道を下り、昨夜泊まった「くすりや」の名で知られた旅籠を』と言うのが出ています。
わざわざ見ていただいたようで、ありがとうございます。m(__)m
この号が手元に無いので風人は読めないのですけど、これは菅笠日記の原文とは違うようです。本居宣長記念館というのがあって、菅笠日記の原文がHPに掲載されているのですが、上のような一文は無いように思います。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/sugakasa_hon.html
「 十一日。朝まだきにやどりをたちて。岡寺にまうづ。里より三町ばかり東のやまへのぼりて。二王門あり。額に龍蓋寺とあり。・・・中略(岡寺境内の描写)・・・又岡の里にかへり。三四町ばかりも北へはなれゆきて。右の方の高きところへ。一丁ばかりのぼりたる野中に。あやしき大石あり。・・・」この後、酒船石の話があり、飛鳥寺跡へと続きます。
やっぱ、上のような文章そのものは無いように・・・。(^^ゞ なぞ!(笑)
「昨夜泊まった・・・」となっているので、11日の文章内に書かれていることになりますよね。何度読んでも見つからない。原文はひら仮名文章なので読みにくいのですけど、「くすりや」という文字は無いと思います。
「くすりや」さんって、岡集落にある治田神社の鳥居の所ですよね。バス停の北側だと思っているのですけど、確かに文章的には、そこにあるようには思うのですけど、原文には屋号が書かれていない。近くに他の宿屋があれば似たような描写になるわけで、そこのところの確証があるのか?と、まだ腑に落ちないのです。
困った性格だとは思うのですけどね。(笑)
また情報があれば、教えてください。m(__)mヨロシク
「明日香風」の本居宣長の特集記事:宣長の見た酒船石:猪熊先生の寄稿文の冒頭に『岡寺の急傾斜の参道を下り、昨夜泊まった「くすりや」の名で知られた旅籠を』と言うのが出ています。
わざわざ見ていただいたようで、ありがとうございます。m(__)m
この号が手元に無いので風人は読めないのですけど、これは菅笠日記の原文とは違うようです。本居宣長記念館というのがあって、菅笠日記の原文がHPに掲載されているのですが、上のような一文は無いように思います。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/sugakasa_hon.html
「 十一日。朝まだきにやどりをたちて。岡寺にまうづ。里より三町ばかり東のやまへのぼりて。二王門あり。額に龍蓋寺とあり。・・・中略(岡寺境内の描写)・・・又岡の里にかへり。三四町ばかりも北へはなれゆきて。右の方の高きところへ。一丁ばかりのぼりたる野中に。あやしき大石あり。・・・」この後、酒船石の話があり、飛鳥寺跡へと続きます。
やっぱ、上のような文章そのものは無いように・・・。(^^ゞ なぞ!(笑)
「昨夜泊まった・・・」となっているので、11日の文章内に書かれていることになりますよね。何度読んでも見つからない。原文はひら仮名文章なので読みにくいのですけど、「くすりや」という文字は無いと思います。
「くすりや」さんって、岡集落にある治田神社の鳥居の所ですよね。バス停の北側だと思っているのですけど、確かに文章的には、そこにあるようには思うのですけど、原文には屋号が書かれていない。近くに他の宿屋があれば似たような描写になるわけで、そこのところの確証があるのか?と、まだ腑に落ちないのです。
困った性格だとは思うのですけどね。(笑)
また情報があれば、教えてください。m(__)mヨロシク
2011年10月11日火曜日
風人が間違った問題 (追記)
飛鳥学冠位叙任試験なんだけど、どうも腑に落ちないので調べている問題がある。
本居宣長が「菅笠日記」の旅で飛鳥に宿泊しているのだけど、その宿泊した宿の屋号を答えると言う問題。答えは「くすりや」となっているが、原文を見てもそのようなことは書いていない。何処に書いてあるのだろうか? 翌日は、三瀬村に宿泊したと書かれているが、これも屋号は書かれていない。
両槻会でも、何度か咲読や配布資料で「菅笠日記」を取り上げたので、飛鳥近郊の部分は読んでいるのだけど、全く覚えがない。
「・・・日くれぬれば。岡の里にとまる。かの寺よりちかし。此あひだに土橋をわたせる川あり。飛鳥川はこれ也とかや。いまの岡といふ所は。すなはち日本紀に飛鳥岡とある所にや。・・・」
疑問! 原文に書かれていないものを問題にしてはいけないのでは?(菅笠日記の全文を読んだわけではないので、何処かに書かれているのかも知れないけど。)
もし、それを示す資料をご存じの方が居られたら、教えていただけないでしょうか。m(__)m
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
追記 少しヒントを見つけた。
西国三十三所名所図会では、岡村の賑わいの様子が描かれているようで、ここに「御宿薬屋源太郎」とあるようだ。しかし、ここに宣長が泊まったってどうして分かるのだろう? 岡寺門前には他にも宿屋があったはず。今も、食堂や民宿が幾つもあるもんね。宿屋に記録が残っていた?
だったとしても、難しすぎるよな! ここまで知識を求めるのかな? 書物やネット検索しても、これは出てこないよね。答えを知って初めて調べられる。ちなみに「御宿薬屋源太郎」で検索すると2件掛かりますが、宣長が泊まったとは書かれていない。一つの資料には、昭和初期だけど、数軒の宿屋が書かれている。
これらの資料では、岡に「くすりや」と呼ばれたであろう宿屋があったことだけしか分からないはず。解答には、直接結びつかない!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
松村又一さんって、有名な方なんですか? 昭和初期の飛鳥出身の作詞家さんらしいのだけど、ウィキで調べてみたが、書かれている代表曲を一曲も知らない。(^^ゞ もっとも歌を知らない風人ですけど。(^_^;) まっ、この問題は、間違っても良いや。興味無いしね。
あと間違った問題は、キトラの天文図の「参宿」の現在呼ばれる星座名。結構、飛鳥資料館の特展で見てたんだけど間違えた。(^^ゞ これは完全な間違いでした。(>_<)
この3つを間違えて、94点。既に大徳から転げ落ちた。(笑) ふー!大徳ゲットしたかったなぁ~!
本居宣長が「菅笠日記」の旅で飛鳥に宿泊しているのだけど、その宿泊した宿の屋号を答えると言う問題。答えは「くすりや」となっているが、原文を見てもそのようなことは書いていない。何処に書いてあるのだろうか? 翌日は、三瀬村に宿泊したと書かれているが、これも屋号は書かれていない。
両槻会でも、何度か咲読や配布資料で「菅笠日記」を取り上げたので、飛鳥近郊の部分は読んでいるのだけど、全く覚えがない。
「・・・日くれぬれば。岡の里にとまる。かの寺よりちかし。此あひだに土橋をわたせる川あり。飛鳥川はこれ也とかや。いまの岡といふ所は。すなはち日本紀に飛鳥岡とある所にや。・・・」
疑問! 原文に書かれていないものを問題にしてはいけないのでは?(菅笠日記の全文を読んだわけではないので、何処かに書かれているのかも知れないけど。)
もし、それを示す資料をご存じの方が居られたら、教えていただけないでしょうか。m(__)m
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
追記 少しヒントを見つけた。
西国三十三所名所図会では、岡村の賑わいの様子が描かれているようで、ここに「御宿薬屋源太郎」とあるようだ。しかし、ここに宣長が泊まったってどうして分かるのだろう? 岡寺門前には他にも宿屋があったはず。今も、食堂や民宿が幾つもあるもんね。宿屋に記録が残っていた?
だったとしても、難しすぎるよな! ここまで知識を求めるのかな? 書物やネット検索しても、これは出てこないよね。答えを知って初めて調べられる。ちなみに「御宿薬屋源太郎」で検索すると2件掛かりますが、宣長が泊まったとは書かれていない。一つの資料には、昭和初期だけど、数軒の宿屋が書かれている。
これらの資料では、岡に「くすりや」と呼ばれたであろう宿屋があったことだけしか分からないはず。解答には、直接結びつかない!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
松村又一さんって、有名な方なんですか? 昭和初期の飛鳥出身の作詞家さんらしいのだけど、ウィキで調べてみたが、書かれている代表曲を一曲も知らない。(^^ゞ もっとも歌を知らない風人ですけど。(^_^;) まっ、この問題は、間違っても良いや。興味無いしね。
あと間違った問題は、キトラの天文図の「参宿」の現在呼ばれる星座名。結構、飛鳥資料館の特展で見てたんだけど間違えた。(^^ゞ これは完全な間違いでした。(>_<)
この3つを間違えて、94点。既に大徳から転げ落ちた。(笑) ふー!大徳ゲットしたかったなぁ~!
2011年10月10日月曜日
200人ほどの受付だったようです。
飛鳥学冠位叙任試験が昨日ありました。クイズラリー方式なので、風人は飛鳥資料館会場の問題配布のお手伝いをしていました。9時から4時まで、長いよ~! で、お天気良すぎ。スタッフジャンバー着てないといけないので、暑かったです。(>_<)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20111009-OYT8T00874.htm
顔の隠し具合が、いかにも風人らしいです♪(笑)
資料館での問題配布数は、150くらい。ギブアップしたり、辿りつけなかった方も居たのではないかと。
某先生は、両槻会飛鳥検定の方が難しいと書いておられるが、ポイント8ヶ所で5問ずつ出される問題の中に、かなりレベルの高い問題が1つ存在する。つまり、8つの難解な問題が存在しているわけだ。風人も、参加者とは別にやってみたのだけど、残念ながら大徳には届かなかった。(>_<) 配点を1問2点として、2つの記述問題を-2点×2としての試算であるけれど。8つの難問(16点分)をどれだけクリア出来るかによって、明暗が別れることになるだろう。
まっ、風人は90点なので、合格であろう。小徳の位なので、官職もいただけるかも。(笑) まっ、意地悪な先生が採点された場合、記述の採点がもう少し下がるかも知れないけど、小徳の範囲には残れるだろうと思う。
もちろん、正式受験ではないので、飛鳥版科挙としての任命はない。(^^ゞ
難問の中には、始めっから知らないものが幾つか有って、考えようもないものがあった。あんなの正解できる人っているのだうか。で、問が曖昧なものもあって、質問されることも多かった。参加者の大半が「むずかしい!」と言って、問題に取り組んでおられた。
答えを教えてくれという人から、ヒントを下さいや、資料館を見学するとわかりますか?という人。また、分厚い本を持参している人、携帯で検索を掛ける人まで。(^^ゞ そうそう!4択の選択肢の中に正解が無いという人までいた。^^; こういう文句は、ここで言ってもダメですと丁重に扱わせていただいたが。大嘘つきもいたなぁ~! 他のポイントでは答えを教えてくれたから、ここでも教えろと。(^^ゞ いろんな人が居ます。はい!
最後に解答用紙を投函するときに盟神探湯が有るので、手が焼けただれた人もいるだろう。(笑)
意外と趣旨に反して、車で回っている人が多かった。団体で車2台を連ねて回っているおばちゃんにはびっくりさせられたが、問題をまず集めて相談しながら回答されるようだ。(^^ゞ まっ、こちらも盟神探湯の餌食に。(笑)
問題点も結構有ったように思う。2回目があるなら、もう少しの工夫が必要だと思うんだよな。迷っている方、時間配分がまるで出来ていない方、初めてや数回目って人にはコースが分かりにくかったり、ポイントが発見できないことも有ったようだ。ずいぶんコースを聞かれる方が多かった。ポイントには、次に行くポイントまでの道順を示せる大きな地図があれば良いと思う。聞かれた方には、それで答えてあげればと思う。
また、車で回るのは禁止したほうが良いと思う。あまりに何でも良くて、受験機会を増やす方向を良しとするのなら、開催の趣旨が失われて行かないのだろうかとか思った。それなら会場でやってしまっても同じような気がした。と、これは、風の書で書いても詮無いことではあるが。
里山クラブの方とペアで担当を組むのだけど、終始和やかに時間を過ごせたし、指示には無かったけど、資料館にお願いして解答用の机や椅子をお借りして喜んでいただけた。
某所に写真もアップされているが、豪華なお昼弁当もいただき、なんだかんだ言いながら結構楽しく過ごせた。
5時に撤収も完了して解散。その後、有間皇子邸で、Yさんと合流して楽し時間を過ごしてから帰宅した。
日差しの中で過ごしたので、思った以上に疲れた。
準備完了の飛鳥資料館前ポイント
風人、新聞に載る!(笑)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20111009-OYT8T00874.htm
顔の隠し具合が、いかにも風人らしいです♪(笑)
資料館での問題配布数は、150くらい。ギブアップしたり、辿りつけなかった方も居たのではないかと。
某先生は、両槻会飛鳥検定の方が難しいと書いておられるが、ポイント8ヶ所で5問ずつ出される問題の中に、かなりレベルの高い問題が1つ存在する。つまり、8つの難解な問題が存在しているわけだ。風人も、参加者とは別にやってみたのだけど、残念ながら大徳には届かなかった。(>_<) 配点を1問2点として、2つの記述問題を-2点×2としての試算であるけれど。8つの難問(16点分)をどれだけクリア出来るかによって、明暗が別れることになるだろう。
まっ、風人は90点なので、合格であろう。小徳の位なので、官職もいただけるかも。(笑) まっ、意地悪な先生が採点された場合、記述の採点がもう少し下がるかも知れないけど、小徳の範囲には残れるだろうと思う。
もちろん、正式受験ではないので、飛鳥版科挙としての任命はない。(^^ゞ
難問の中には、始めっから知らないものが幾つか有って、考えようもないものがあった。あんなの正解できる人っているのだうか。で、問が曖昧なものもあって、質問されることも多かった。参加者の大半が「むずかしい!」と言って、問題に取り組んでおられた。
答えを教えてくれという人から、ヒントを下さいや、資料館を見学するとわかりますか?という人。また、分厚い本を持参している人、携帯で検索を掛ける人まで。(^^ゞ そうそう!4択の選択肢の中に正解が無いという人までいた。^^; こういう文句は、ここで言ってもダメですと丁重に扱わせていただいたが。大嘘つきもいたなぁ~! 他のポイントでは答えを教えてくれたから、ここでも教えろと。(^^ゞ いろんな人が居ます。はい!
最後に解答用紙を投函するときに盟神探湯が有るので、手が焼けただれた人もいるだろう。(笑)
意外と趣旨に反して、車で回っている人が多かった。団体で車2台を連ねて回っているおばちゃんにはびっくりさせられたが、問題をまず集めて相談しながら回答されるようだ。(^^ゞ まっ、こちらも盟神探湯の餌食に。(笑)
問題点も結構有ったように思う。2回目があるなら、もう少しの工夫が必要だと思うんだよな。迷っている方、時間配分がまるで出来ていない方、初めてや数回目って人にはコースが分かりにくかったり、ポイントが発見できないことも有ったようだ。ずいぶんコースを聞かれる方が多かった。ポイントには、次に行くポイントまでの道順を示せる大きな地図があれば良いと思う。聞かれた方には、それで答えてあげればと思う。
また、車で回るのは禁止したほうが良いと思う。あまりに何でも良くて、受験機会を増やす方向を良しとするのなら、開催の趣旨が失われて行かないのだろうかとか思った。それなら会場でやってしまっても同じような気がした。と、これは、風の書で書いても詮無いことではあるが。
里山クラブの方とペアで担当を組むのだけど、終始和やかに時間を過ごせたし、指示には無かったけど、資料館にお願いして解答用の机や椅子をお借りして喜んでいただけた。
某所に写真もアップされているが、豪華なお昼弁当もいただき、なんだかんだ言いながら結構楽しく過ごせた。
5時に撤収も完了して解散。その後、有間皇子邸で、Yさんと合流して楽し時間を過ごしてから帰宅した。
日差しの中で過ごしたので、思った以上に疲れた。
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