今朝、起きた時に、火曜日か! デーやなと思ったσ(^^)。暫く、こういうのが続くんでしょうね。(T_T)
葬儀に来てくださった方々、弔問に訪れてくださった方々、皆さんに親孝行だと言っていただいています。こんなに褒められるのは、何十年ぶりだろうか。
まっ、母が最期にそうさせてくれたのだろうと思います。私は決して、優しい人間ではないと思っているのですが。(^^ゞ
祖母・父・兄と看取ってきました。けど、その時々には、母を気遣っていたσ(^^)。倒れないか、悲しさに打ちのめされるのではないかと、心配で仕方がなかった。そういう意味では、初めて葬儀だけに気持ちがいった昨日だったように思いました。葬儀では、母が亡くなったんだという事実が突き刺さってきました。特に収骨は辛くなりましたね。リアルな別れの儀式です。
我が家は浄土真宗大谷派です。いわゆるお東さん。蓮如上人の「御文」の中に「白骨の御文」というのがあります。なかなか心を揺さぶられる文章なのですが、本来の意味理解は難しいのだろうと思うのですが、収骨の際に思い出されて涙が出そうになりました。
宗派の文章なので、嫌だと思う方は、この一段を飛ばしてください。
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ」
昨日の私には、心に染み入る一文でありました。
早めに帰宅できたのですが、やはり疲れて動けなくなりました。気が張っていたので出来たでしょうが、やっはりすべての手配や段取りを1人で決めていくのは、大変だったのでしょう。水無月が悲しそうにしているので抱っこしてやったとたんに、私は寝落ちてしまいました。物音に目覚めると、長年来ていただいていたヘルパーさんが、訪れてくれていました。まだ、祭壇も作っていなかったので申し訳なかったのですが、母との別れを惜しんでくださいました。水曜日に来ていただいていたので、まだ、風鼓さんは普通だったですからね。
いろいろ事後の手続きも残っているのですが、少しだけ休憩したいと思っています。