時遊録だけだと油断して(咲読は既に書けている♪エライ♪)、のんびり構えていたら仕事が飛んできた! (>_<)メンドクセエ~!
けど、文句も言わずにこなした。(^^)エライ またまた、人徳メーターが上昇したのは言うまでもない♪(笑)
ご近所さんで、まっとうな定例会終わりの記事を書いてる人が居る。えらなぁ~って感心しきり。良いところを突いてはるよね。
石垣の下の縦割り調査で出土した飛鳥時代初期の多量の瓦ってのに、もう少し食いつきたかったですね。両槻会が瓦マニア増殖会であることを、もっとアピールしとけばよかった。(笑)
例の軒平が出ているとしたら、鳥さんの時代に符合するのかな? 近江坂田の20町を財源にして造ったという金剛寺は、あの辺りの下層ってことになるのだろうか。飛鳥の五大寺に数えられる立派な尼寺であったことは間違いないのだから、埋もれているか削られているかなんでしょうね
。
多須奈のお寺は?っとなると分からないんでしょうが、やはりあの近辺なんでしょうか。達等の草堂ってのは、やはり伝承にしか過ぎないので、誰が説明しても何とも言えんやろなと思う。そもそも、本当かどうかも分からないですもんね。お寺の創建を古く見せかけるなんて、ざらに有ることだしさ。伝聞を書き綴った史料だから怪しい!
で、現地で、悔いを残したのは、皆さんが方位が掴みにくいということに気付かなかったこと。σ(^^)、方角が分かる人なので、ついうっかりする。(^^ゞ 石舞台から南に入ると、確かに見通しが悪くなるので方位を掴みにくいかもしれない。それと、指摘されるまで気づかなかったのだけど、万葉歌碑のある所が皆さんが知っている坂田寺跡だということ。歌碑に寄らなかったので、位置関係が分からなかったようだ。レンギョウの垣根が間にあるだけなんだけど、見えないですからね。反省。歌碑の所には、直接遺構が無いので、回廊と仏堂跡を辿っていた。すんません。(^^ゞ 歌碑は、東面回廊と仏堂がくっ付く辺りの東の垣根の反対側に在ります。両槻会の資料アップ時には、遺構図に歌碑を追記する予定です。
説明もマラ石の所からではなくて、一般的な歌碑の所から始めたら位置確認がよりスムーズだったかもしれない。ここらが反省点だ。練れてなかった。悔しい! (^^ゞ
次に生かそう♪