「堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及。」
さて、皆さんは、これをどう読みますか?
道長が、山田寺来訪時に語ったとされる言葉ですが、扶桑略記には、「十九日。堂塔を覧る。"堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及"。御馬一疋を権大僧都扶公に給ふ。」とあります。
「堂中は以って奇偉荘厳にして、言語云うに黙し、心眼及ばず」と読まれるのが一般的だとされます。(奈文研報告書解釈)
ちなみにAIに聞いてみると、以下のように説明しました。
「堂中」:堂の中。
「以奇偉荘厳」:奇偉荘厳をもって(堂内が)満ちている意。
奇偉: 他より抜きん出て優れていること、珍しく立派なこと。
荘厳: 重々しく威厳があり、おごそかなこと。
「言語云黙」:言葉にすれば黙するほかない、言い表せない意。
「心眼不及」:心の目をもってしても及ばない。
全体として、堂内の荘厳があまりにすぐれていて、言葉にも心にも尽くしがたい、という感嘆を述べた文です。
私は、漢文など読めないのですが、素晴らしい先生方に恵まれるという類まれな運を持っています。漢文のプロである滝川幸司先生に、両槻会でこの文章を教えていただいたことがあります。先生は、平安文学の専門家です。
先生は、「堂中奇偉を以って荘厳す。言語云に黙し、心眼及ばず」と読まれました。
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私など門外漢には、どこが違うねん! と言った感じだったのですが、今では、こちらが素直に頷けるようになりました。「荘厳す。」と動詞として訳されている所が大きな違いになるのですが、18年越しに、やっと、そこに気づいた次第です。(^^ゞ
ここでは、文法的な説明(漢文の特徴的な表現や対語の説明など)は、潔く切り捨てますが(おい!)、私流の理解を書いてみようと思います。またしても、奈文研さんに逆らいます。m(__)m
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この文章に接して一番最初に思ったことは「嘘やろ!」「大げさな!」でした。南都の七大寺(東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺)や煌びやかな平安京の大寺院を見慣れた道長が、荒廃が進んでいるだろう山田寺を見て、こんな風に感激するのだろうかということを思いました。
山田寺は、見てきたように蘇我倉氏の氏寺です。しかも、蘇我氏は壬申の乱を経て、急速に衰え、安麻呂の頃に八色の姓の制度導入を機に、「蘇我」から「石川」を名乗るようになったと思われます。
奈良時代の系図を見てみると、藤原四兄弟の死を機に、石川氏は一時的に上級官人として盛り返した印象がありますが、それを最後に中級官人層に埋もれて行きました。また、後ろ盾となった天武天皇の系統から、天智天皇の系統へと言う皇統の変化もありました。平安時代に入ると、名足(なたり)の子である真守(まもり)が官位は正四位上・参議に列しますが、彼を最後に公卿にも列することがなくなり、蘇我一族の系統を追う事が難しくなります。
彼らに、山田寺を維持してゆくことは、かなり厳しいことだったのではないかと推測されます。
私が抱いた疑問には、大きな弱点があります。奇偉荘厳が、「他より抜きん出て優れていること、珍しく立派なこと。重々しく威厳があり、おごそかなこと。」であるとするなら、長い時を経て古色を帯びた仏像や、歴史を刻んだ古いお堂には、新しい建物にはない威厳が宿ります。仏教発祥の地で見るそれらは、一層の威厳や仏教的な感銘を与えたとするのも、飛鳥好きの私にはよく理解できる点であります。
特に、心血を注いでいる法正寺を建造中の道長にとって、仏教への原点回帰を促したのかも知れません。
しかし、「堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及。」の解釈は、やはり自説に拘りたいと考えています。それは・・・。
つづく

