2026年2月11日水曜日

豊浦寺文様石と和田池

豊浦寺文様石

奈良文化財研究所飛鳥資料館HP 豊浦寺の文様石と豊浦隧道に使用された文様石の写真

https://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/ASUKAISI/ukiboriisi.html

 

奈良文化財研究所 明日香村豊浦隧道文様石の調査

https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/4856

 

豊浦の文様石と水利の終着点「和田池」

明日香村の豊浦(とようら)にある「文様石(もんようせき)」は、飛鳥時代の謎に包まれた石造物の一つです。現在は、推古天皇の豊浦宮跡とされる向原寺(こうげんじ)の境内でその一部を見ることができます。

 

1. 文様石の概要と特徴

この石造物は花崗岩(かこうがん)製で、表面には流れるような曲線や火炎を思わせる独特の浮き彫りが施されています。大きさは長さ約80cm、幅および厚さが約45cmほどです。もともとは一つの大きな石造物であったものが、後世に分割され転用されたと考えられています。

 

2. 所在:向原寺と豊浦隧道

文様石は向原寺の境内だけでなく、意外な場所からも見つかっています。 江戸時代に築造された「和田池」へ水を引くための地下水路(豊浦隧道)において、壁や天井の石材として三つの文様石が再利用されているのが確認されました。模様のある面を裏側にして据えられたものがあると想定すれば、その数はさらに多い可能性があります。

 

この隧道(ずいどう)は全長約200mに及びますが、江戸時代の技術者が何もない状態から掘り進めたのではなく、飛鳥時代(7世紀)に存在した大規模な導水施設の跡や経路を再利用、あるいは参考にした可能性が極めて高いと考えられています。

 

和田池(わだいけ)の築造と蘇我氏の本拠地

和田池の成立については、飛鳥時代を起源とする説と、江戸時代に整備されたとする説の二重構造で捉えるのが一般的です。

 

1. 古代:蘇我氏による「初期和田池」の可能性

考古学および歴史学の視点からは、7世紀にその原型が造られたと推測されます。 和田・田中町一帯は蘇我氏(支族を含む)の本拠地です。この広大な平野部を安定して潤すためには、川から引いた水を一時的に蓄える「調整池」が必要でした。豊浦堰(とようらせき)から隧道を通った水が流れ着く、壮大な水利体系の終着点として、飛鳥時代に池の原型が築かれた可能性は極めて高いと言えます。

また、周辺の石川池(剣池)や軽池などは『日本書紀』にもその名が見える溜池です。これらは単なる貯水施設ではなく、当時の国家事業として最新技術を投入して築かれました。


地形を読み解く「谷池(たにいけ)」の設計 

山裾が複雑に入り組んだ地勢を活用し、谷の出口を堤(つつみ)で塞ぐ工法が採られました。当時の技術者は、水圧を考慮して堤の断面を台形に整え、崩壊を防ぐ角度を計算して築堤していました。

 

2. 近世:慶安年間の大改修(再興)

記録上、現在のような巨大な溜池として完成したのは、江戸時代初期(慶安年間:1648年〜1652年)とされています。中世を通じて荒廃、あるいは土砂で埋まっていた古代の池を、農業生産力を高めるために当時の村々が再興したものです。古代の文様石が隧道の石材として使われたのも、この再興期のことと考えられます。

 

なぜ和田池は「終着点」に選ばれたのか

和田池が単なる溜池ではなく、大規模な導水体系の終着点であった理由を、地形・技術・政治の三側面から整理してみます。

 

地形的条件:水を貯めるのに最適な「谷」

和田池の立地は、甘樫丘から西へ延びる丘陵の末端にあたります。三方を自然の丘に囲まれ、開口部を一箇所の堤防で塞ぐだけで効率よく貯水できる、極めて合理的な「谷池」の地形を有しています。

 

標高条件:自然流下の限界点

豊浦から和田池に至る経路は、終始緩やかな下り勾配が保たれています。 

豊浦寺付近: 約108m

文様石出土地付近: 約105m

和田池: 約102m 

これより西へ進むと地勢が開け、標高も下がるため、溜池として水位を維持することが難しくなります。和田池は、自然流下で運べる物理的な限界点に位置していたと言えます。

水利の性格:配水の拠点

和田池は単なる「貯水槽」ではありません。引水された水を一度集約し、周辺の農地へ安定的に配分するための「結節点」として機能していました。これにより、日照りなどの際にも一定の供給量を制御することが可能となりました。

政治的意味:権力の中枢に直結する場所

和田・田中町一帯は蘇我氏の居住域であり、勢力圏の中枢です。この地に水の終着点を置くことは、蘇我氏の直轄地を潤し、寺院や宮都を支える農業基盤を盤石にするという、政治的な意図に基づいた配置であったと考えられます。

「水の終着点=権力の中枢に最も近い場所」 和田池は偶然の産物ではなく、水・土地・都市・権力を一体として制御するという明確な設計思想のもとに選定された場所だったのです。