今朝、ヒントをいただいた。拍手コメントありがとうございます♪ m(__)m
「明日香風」の本居宣長の特集記事:宣長の見た酒船石:猪熊先生の寄稿文の冒頭に『岡寺の急傾斜の参道を下り、昨夜泊まった「くすりや」の名で知られた旅籠を』と言うのが出ています。
わざわざ見ていただいたようで、ありがとうございます。m(__)m
この号が手元に無いので風人は読めないのですけど、これは菅笠日記の原文とは違うようです。本居宣長記念館というのがあって、菅笠日記の原文がHPに掲載されているのですが、上のような一文は無いように思います。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/shiryo/sugakasa_hon.html
「 十一日。朝まだきにやどりをたちて。岡寺にまうづ。里より三町ばかり東のやまへのぼりて。二王門あり。額に龍蓋寺とあり。・・・中略(岡寺境内の描写)・・・又岡の里にかへり。三四町ばかりも北へはなれゆきて。右の方の高きところへ。一丁ばかりのぼりたる野中に。あやしき大石あり。・・・」この後、酒船石の話があり、飛鳥寺跡へと続きます。
やっぱ、上のような文章そのものは無いように・・・。(^^ゞ なぞ!(笑)
「昨夜泊まった・・・」となっているので、11日の文章内に書かれていることになりますよね。何度読んでも見つからない。原文はひら仮名文章なので読みにくいのですけど、「くすりや」という文字は無いと思います。
「くすりや」さんって、岡集落にある治田神社の鳥居の所ですよね。バス停の北側だと思っているのですけど、確かに文章的には、そこにあるようには思うのですけど、原文には屋号が書かれていない。近くに他の宿屋があれば似たような描写になるわけで、そこのところの確証があるのか?と、まだ腑に落ちないのです。
困った性格だとは思うのですけどね。(笑)
また情報があれば、教えてください。m(__)mヨロシク