飛鳥学冠位叙任試験なんだけど、どうも腑に落ちないので調べている問題がある。
本居宣長が「菅笠日記」の旅で飛鳥に宿泊しているのだけど、その宿泊した宿の屋号を答えると言う問題。答えは「くすりや」となっているが、原文を見てもそのようなことは書いていない。何処に書いてあるのだろうか? 翌日は、三瀬村に宿泊したと書かれているが、これも屋号は書かれていない。
両槻会でも、何度か咲読や配布資料で「菅笠日記」を取り上げたので、飛鳥近郊の部分は読んでいるのだけど、全く覚えがない。
「・・・日くれぬれば。岡の里にとまる。かの寺よりちかし。此あひだに土橋をわたせる川あり。飛鳥川はこれ也とかや。いまの岡といふ所は。すなはち日本紀に飛鳥岡とある所にや。・・・」
疑問! 原文に書かれていないものを問題にしてはいけないのでは?(菅笠日記の全文を読んだわけではないので、何処かに書かれているのかも知れないけど。)
もし、それを示す資料をご存じの方が居られたら、教えていただけないでしょうか。m(__)m
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追記 少しヒントを見つけた。
西国三十三所名所図会では、岡村の賑わいの様子が描かれているようで、ここに「御宿薬屋源太郎」とあるようだ。しかし、ここに宣長が泊まったってどうして分かるのだろう? 岡寺門前には他にも宿屋があったはず。今も、食堂や民宿が幾つもあるもんね。宿屋に記録が残っていた?
だったとしても、難しすぎるよな! ここまで知識を求めるのかな? 書物やネット検索しても、これは出てこないよね。答えを知って初めて調べられる。ちなみに「御宿薬屋源太郎」で検索すると2件掛かりますが、宣長が泊まったとは書かれていない。一つの資料には、昭和初期だけど、数軒の宿屋が書かれている。
これらの資料では、岡に「くすりや」と呼ばれたであろう宿屋があったことだけしか分からないはず。解答には、直接結びつかない!
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松村又一さんって、有名な方なんですか? 昭和初期の飛鳥出身の作詞家さんらしいのだけど、ウィキで調べてみたが、書かれている代表曲を一曲も知らない。(^^ゞ もっとも歌を知らない風人ですけど。(^_^;) まっ、この問題は、間違っても良いや。興味無いしね。
あと間違った問題は、キトラの天文図の「参宿」の現在呼ばれる星座名。結構、飛鳥資料館の特展で見てたんだけど間違えた。(^^ゞ これは完全な間違いでした。(>_<)
この3つを間違えて、94点。既に大徳から転げ落ちた。(笑) ふー!大徳ゲットしたかったなぁ~!