写真で見るよりしっかり作ってある感じ。西から東
一番気がかりだったのが、これ!
北池の階段状の傾斜から続いているみたいなんですけど、西石組みとのみ書いてありました。何かを囲っているのか? というか、何らかの施設を区切っているのかな? 似合いそうなのは植物ゾーン。
これが排水路?
溝から水路底まで、約1.5m程度か。
なぜ段差が必要なのか?
ぅん? この木材は?
結構長く奥に潜り込んでいるとか
木樋? この形の苑池じゃない時期のかな? ゴミなんてものではないと思うので、意図したもののはずなんですよね。ここに埋まってるなら、北池と繋がっている? やっぱ時期の違う木樋かな。でも、突き出ているのは変だよね。(^^ゞ
元は、どういう形をしていたのだろう。その変遷を教えて! (笑) そうしないと落ち着かない。(^^ゞ これで、終わってほしくないな。。。いつでもなんだけど、面白くなったら終わる。飛鳥寺西方遺跡も。。。終わったわけではないので、皆で期待しまくりましょう。いつか、再開できるかも。出土した木簡の説明文
まだ、よく分からないことがいっぱい! 先生方や担当の鈴木先生の見解をよく聞いて、自分のイメージを作って行ければなと思います。
昼からは、市民大学ウォーク。定員20名の歩きやすいサイズのウォーキングでした。このくらいが、良いな。
なんか腕章してますけど、いつも見る方のようですが! (笑) 私もね。(^^ゞ
最後の和田廃寺では、夕刻が迫ってきました。
皆さん、若干お疲れ気味。