2020年2月13日木曜日

亀瀬路

昨日、「亀瀬路」と書かれた文献を探し出した♪ えらいっ! 
自分で褒めてやりました。(笑) で、ご褒美に、さわさんへ。(爆) 

というより、目が耐えきれなかったのです。朝7時から、ず~っと細かな文字を追っていましたのでね。途中で1時間歩きに出たのと、銀行の人が来たくらいかな。30分ほど。後は、ず~~~~っと書物と睨めっこ。で、見つけたのが「亀瀬路」! というわけです。
これが飛鳥時代なら、もっと騒いでいるのですけどね。(^^ゞ 鎌倉時代でした。平安時代にも道長がそれらしい歌を残しているのですけど、「亀瀬山」と書かれていて、「龍田川」とありますので、まず間違いなく川筋に来ているようです。

で、鎌倉の文章には、奈良と大阪間のルートが書かれていました。6ルート。詳細が分からないのも半分ほどあるのですが、「信貴路」「生駒越路」「亀瀬路」が挙げられていました。生駒越路って、おそらく暗峠越えでしょうかね。
これで、少なくとも鎌倉時代に亀の瀬に道路が通っていたことが分かりました。
『春日社記録』中臣祐定記の嘉禎2年(1263)10月9日条「注進 御供途可令運上路々事」として、「西路 大板路、亀瀬路、信貴路、生駒越路、上津鳥見路」


道長
『扶桑略記』治安3年(1023)10月の藤原道長の高野山参詣の条「廿七日(中略)指河内国、進発之間、亀瀬山之嵐、紅葉影脆、龍田川之波、白花声寒」

本日は雨模様なので、引き続き勉強します。で、資料を形作って行く予定です。

追記
ぅう~む! 道長の漢詩には続きがあるようです。
「食山中仮鋪草座。柳供菓子。焼紅葉。媛佳酒。蓋避突風一也。昏黒御河内国道明寺。」
ってのが続いている。亀瀬山で、紅葉を焼いて菓平を供し酒をあたためている。龍田川沿いかな?

在原業平は、どのルートを河内の女のもとに通っていたのでしょうね。。。まさか山越え? 夕方に出て行ったとかありましたよね。在原寺は櫟本付近とすると、まさに龍田道なんですが。平安初期ですよね。ちと、調べてみるか。。。



風人の飯
夜は、さわさんだったので、お昼御飯です。
 親子きしめん
具材は、鶏もも肉とエリンギと卵です。で、うどんではなくてきしめん。きしめん食べたの久しぶりです。って、この二つの違いは何? 形状だけなんかな? 
形状だけみたいですね。まっ、食感が違いますね。

カニカマ入りポテサ
σ(^^)、朝はパン食なんです。昨日の昼に作ってあったのを食べました。で、ほうれん草のスープ付きです♪