2018年2月6日火曜日

手毬唄

こんな手毬唄を知っていますか? 風鼓さんが、最近、ずっと歌っています。その歌声で、夜中に何度起こされたことか・・・。σ(^^)も覚えてしまいました。(>_<) 腹式呼吸を身に着けている風鼓さん、その声量たるや並みの人のものではない。(>_<) まっ、それは置いといて。

一番はじめは一の宮
二は日光東照宮
三は讃岐の金比羅さん
四は信濃の善光寺
五つ出雲の大社(おおやしろ)
六つ村々鎮守様
七つは成田の不動様
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法さん
十で東京招魂社

調べてみると、このような歌詞が出てきた。しかし、風鼓さんは、
七つは名高き伊勢三宮 と歌う。
十で所の地蔵さま と歌います。

所によって、時代によって、こういう歌は変化していくのでしょうね。八つも大和の東大寺とも歌われるようだ。でね、この歌は、ここまではとっても手毬唄風なのですが、風鼓さんがたまに後半まで歌う時があります。これが、何とも続きぐわいの悪い、しかも悲しい物語を秘めているようなのです。で、これまた検索の結果なのですが・・・・

これほど心願かけたのに
浪子の病は治らない
ごうごうごうと鳴る汽車は
武男と浪子の別れ汽車
二度と逢えない汽車の窓
鳴いて血を吐くほととぎす
武男が戦争に行くときは
白い真白いハンカチを
うちふり投げてねえあなた
早く帰ってちょうだいね

武男さんと浪子さんの別れ! 手毬唄には似合わないですね。で、検索結果!
by Wikipedia
徳富蘆花の小説「不如帰」をモチーフにしている。本来は10行目までで終わりになっていたのが、1908年(明治41年)前後から「不如帰」が劇として各地で上演されることが多くなったのを受け、舞台を鑑賞した年かさの女児が、後を付け足したものと思われる。

へ~! 風鼓さんは、大正9年の生まれ。まだまだ、巷では流行っていたのかな? 今の出来事は全く記憶に残らないのだけど、80年以上昔の歌は今も歌える。人間の頭って不思議ですね。
歌うのは構わないのだけど、お願い! もう少しで良いから小さな声で歌って!! 切実。(>_<)  オペラ歌手のような大音量が、昨夜も睡眠を分断した。(T_T)


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