2016年1月6日水曜日

サイズも合わせたよ!

藤原宮に大極殿を建ててみた。(笑) 朝堂院南門から見た大極殿です。間には、閘門もあるので、本当は、こんなには見えないのだけど、雰囲気は出るかな? 後ろの山は耳成山。次回の事前散策では、ここまで行く。その時のイメージ作りに見ていただこうかと作った。もちろん、平城宮の第1次大極殿の復元建物の写真を加工したもの。けど、第1次大極殿は、藤原のを持って行ったものだから、元々ここに在ったのです。
ここで、我が国は国家の体裁を整えて行ったのです。2017年 - 694年=1323年前の話です。

今までは、、持統天皇4年(690)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷したということになっていたのですが、どうも、違うで! ってことになっています。第54回定例会では、そんな話も出てきます。ここらが肝なんですな。(笑) 詳しくは、金曜日に発行する飛鳥遊訪マガジン第233号の咲読をお読みください。(^^) ここらを知っておいていただくと、本番の理解が深まります。是非! 

写真の右の柱辺りに、造営時に使われた運河が大極殿を通って耳成山付近に向かって流れていました。推定では、耳成山の南辺りから米川→寺川→大和川へと合流しています。そして、滋賀県の田上山から材木を運んできます。そんなルートも分かりやすくマップ化しています。これは、資料に掲載。

藤原京・宮は、面白いですよ! ちっと復習して、また嵌りそうになりました。(笑)
瓦の事はあまり知らないのだけど、それでも産地のことなども面白い。今回の資料では、最も遠いのは宗吉瓦窯なんですが、香川県の西部ですから、どうやって運んだの? とか、なんで、そんな遠い所から?なんて疑問が湧いてきますよね。
そんなことを頭に入れておいて、石田先生の話に耳を傾けるのって、ワクワクして楽しいよ!(^^) 

まだ受付けます! お申し込み、お待ちしています。(^^) 
金曜日の咲読、読んでね。(^^ゞ σ(^^)やなくて、お隣さんが書いていますが。(笑)