2015年11月29日日曜日

楽しい定例会♪

第53回定例会は、昨日、無事終了しました。(^^) 
岡一彦先生のお陰で、たっぷりと泉南市の歴史を学び、楽しい6時間+移動時間+αを過ごすことが出来ました。

先生、ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。m(__)m 
海会寺跡の復元や出土遺物を見て、地形を丁寧に復元していただきつつ説明をお聞きすると、とても理解が進みます。やっぱり現地・実物を体感しながら学ぶことは大事ですね。

 駅を出ると、早速妻入りのお家
 妻入りしころ葺のお家が連なる街道筋
 復元されている海会寺塔基壇
 海会寺講堂跡と回廊の復元
 講堂跡から塔基壇
 地形も分かる海会寺復元模型
 金堂のものと思われる礎石(移動している)
 海会寺の屋根を飾った軒丸瓦
 こんなに完形で残っているのは、とっても珍しい
 海会寺(塔と金堂)復元図
 ギャラリートーク風景
講演風景

飛鳥時代の後半に創建されたとする海会寺は、創建当時の寺院名も分からないお寺。何のために、誰が? 

百済大寺から四天王寺を経て海会寺にやってきた瓦范を使い、伽藍を持つ大きな寺院。国家の大きな力添えが無くては、このような寺院を作ることは出来ないだろうと思うのですけど、考えれば考えるほど謎が出てきます。

どうして伽藍が歪んでいるのだろう? 塔と金堂は屋根を接するように近い。講堂は小さい。
丘を整地して、やっとこの広さを造り出したからなのだろうか? では、なぜこの狭くて谷地形に囲まれた場所を建設地として選んだのだろうか・・・。先生がおっしゃったように、古代寺院は当時最も優れた防御施設でもあったわけで、そのために防御に適した地形が考慮されているのだろうか。
逃げ城のような施設であったとしても、誰が誰から守るのだろう? 百済の滅亡後の守り? 

謎は楽しむもの、答えを急いではいけないように思います。様々な可能性を探りながら、答えに近づけたらなと思うのです。そのことも、教えていただいた気がします。

とにかく、第53回は楽しい定例会になりました。先生!参加の皆さん、ありがとうございました。

さぁ! 次に進みましょう。


4 件のコメント:

  1. 今回も定例会お疲れ様でした。
    無事家に帰れました。
    で、参加証を見返したら、
    第45回と書かれていました。
    まだまだ悟りに至らないらしいです。

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    1. doruneroさん! あらぁ~! 気づきませんでした。(>_<) 参加証は、そう言われれば、チェックしてなかったです。m(__)m 

      こんな感じで作ろうと、第45回を修正する形で作ったのではと。 うっかりですね。本当は、53回と追記しておいてください。m(__)m 

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  2. 28日、東京では大和文化会が行われ、来村多加史先生が白村江敗戦後の防衛について講演されました。
    その中で、白村江敗戦後築かれた山城の特徴として、「中央が窪んでいる丘陵地」をあげておられました。籠城する際の水の確保のためです。
    海会寺に行ったことがないのでわかりませんが(というかその存在自体風人さんのこのブログで初めて知りました)、海会寺はそうした山城の特徴を備えているようにも思えます。
    興味はつきませんね。
    これだから古代史は面白いです!

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  3. 梅前さん、こんばんは♪
    良く分かりませんが、海会寺は畿内の南西端に近い交通の要衝と考えると、大事な防衛ポイントなんでしょうね。それは対外的な防衛でもあるのでしょうが、よりあらゆる国内で起こるかもしれない反乱や謀反に備えるものかも知れませんね。南海道の畿外で起きた事変に対する備えなど。
    飛鳥時代後半の創建というのが時代的に広すぎてイライラしますが(笑)、どうなんでしょうね。(^^ゞ まっ、真中に近い数十年範囲やないかとσ(^^)は思っているのですけど、根拠は特にありません。(笑)

    防衛拠点でもあり、畿内境界の目印でもあったのかもしれません。塔は、遠くからでも目立ったことでしょうから。海路を通っても、海会寺の塔が見えて来たら、もう直ぐ紀ノ津だなっとかね。

    海会寺は、一筋縄ではいかないなぁ~!ってのが、σ(^^)の感想です。(^^ゞ 
    近々、定例会のレポーとが完成・発表出来ると思いますので、お楽しみに。

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