2013年11月25日月曜日

飛鳥京跡苑池現説

たくさんの先生方から、いっぱい教えていただきました。ウザイ奴で申し訳ありません。m(__)m 
説明を聞く時間より、挨拶をしている時間が長い?(笑) 現説は、ご挨拶の機会であることも、また大事なのです。σ(^^)にとっては。
まさかと思っていたO先生とは、最後までウダウダとお付き合いをいただき、ありがとうございました。風人一人では気が付かない点とか、プロは違うとまたまた思ったのであります。ありがとうございました。

完全に注意不足で見誤っていたσ(--)。甘いよなぁ~! 土坑群と中島は時期が違うようだ。当然、土坑群が先行する。天武期に改修されているようだから、その時に中島が造られたのかな? けどね、あの土坑群って何? 改めて思う。あんなのが床とかテラスだったとしたら、大きすぎないのかな? よーわかりません。南池の南半分の石造物も、天武朝に設置された? 周りに土坑が取囲むようにあるのが、どうも理解できない。テラスだとしたらですがね。(^^ゞ 
で、発表をそのままイメージすると、一番近いのは釣り堀。(^^ゞ 

池中の柱の残存部ですけど、あそこまで色が変わります? ほんとなんかな?って疑っているわけではないのですけど、水に浸かっているだけで、かくも明確に色が分かれるのでしょうか! 木材ですから、しみ込んで全体が湿気て来るんやないかと思うのですがどんなもんなんでしょう。と、水に浸かってる方が色が薄いってのも、どうも分かりにくい。そんなものなんですかね? で、下の写真を見ると、色が変わる高さが微妙に違わないですか? 錯覚かな?? 

南東の掘立柱建物も、少し戸惑っています。もっと池に向かうように方位を振っていませんでした?9月定例会の資料では、かなり傾けて描いているσ(^^)。
と、排水路とされている北の水路ですけど、東護岸が階段状、西が砂利敷きって、どう理解すれば良いのでしょう! ほんまに、ただの排水路って役割だけだったのかな? 北端にある掘立柱建物が、微妙に方位を振っているのも気になった。排水路近くに廂付の建物があるってのも変な感じ。管理小屋にしては立派だよなぁ~。

まだまだよ~分かりません。疑問だらけでした。なんか、思っているより謎を秘めた庭園遺跡なのだって思いましたね。もっと知りたい! 

(^^) そう思われた方は、あい坊先生が、特別寄稿をしてくださるようですので、ご期待ください! σ(^^)も勉強したいなって、楽しみにしているんです。なんだか、2回に分かれるみたいですけど、1回目はほぼ書けているとか。ほんと!早く読みたいです。

とても素敵な方にお会いしました。かなり羨ましくもありましたね。(笑) また、近々お会い出来るようなので、楽しみです。

O先生とウダウダ話しながら帰ったのですが、こちらもスペシャルデイに出来るかも知れないので、これから工作に入りたいと思っています。
何やかやと、いっぱい繋がってくる飛鳥の輪。本当に楽しみが増えました。(^^)

 菅谷所長が作られたらしい模型
現説図面から遺構図 
 残存柱
 東南掘立柱建物北側の建物