2022年11月8日火曜日

両槻会定例会特別回「烽火見て回りツアー」

663年、白村江で大敗した日本は、唐・新羅連合軍に侵攻されるのを恐れ、対馬、壱岐、九州、瀬戸内から生駒山地の高安に城を築きました。同時に烽火による連絡ルートも整えて有事に備えました。
高安城から宮都の飛鳥までどのような烽火ルートがとられていたのか、約20キロごとに烽火台を設けたともいわれますが、そもそもそれだけの距離で烽火を見ることができたのかさえ、わかっていないのが実情です。そこで、「みんなでつくる明神山烽火MAPプロジェクト」です。(プロジェクト概要抜粋)

こうして、実施される烽火のプロジェクトに参加し、烽火がどのように飛鳥に伝えられたのかを自分の目で確認しようと思い立ったのが、両槻会特別回「烽火見て回りツアー」です。

「みんなでつくる明神山烽火MAPプロジェクト」の予定に沿って、自分の目でどれだけの距離まで離れて見ることが出来たのかを確かめたいと思います。

20kmというと、かなり遠く隔たっています。本当に見えるのでしょうか。とある狩猟民族は、驚異的な視力を持つと言いますが、1400年前の日本人にはどの程度の視力があったのでしょうか。現代人は遠く及ばないでしょうが、20km先の一筋の烽火を見極められたのだろうか・・。そんなことを考えながら、自らの目で距離や天候との関連を確認してみませんか? 

 養老令 第十七 軍防令
66条 置烽条

烽〔ぶう/ほう/とぶひ〕(のろし)を置くのは、みな互いの距離40里(約21km)。もし山岡で隔絶し便宜上安置すべきことがあれば、相照らし見ることができるようにさせること。必ずしも絶対に40里と限定するものではない。

20km離れた烽火が見えないのであれば、実際にはどのようにして緊急連絡は宮都飛鳥に届けられたのでしょうか。
どの程度の距離なら、見えるのでしょうか。どんな工夫があったのでしょうか。ご一緒に考えましょう!

という事で、定例会を開催します。


「烽火見て回りツアー」
11月12日実施
集合時間:9:10 
集合場所:橿原神宮前東口 ロータリー
定  員:10名
参 加 費:500円(保険加入はありません)

甘樫丘にて、第1回目(12日)の第1烽火を確認します。
第2烽を、新沢千塚古墳群のある丘陵上にて確認します。
第3烽を、橿原市役所展望フロアにて確認します。(畝傍山間とほぼ等距離)
第4烽を、曽我川畔(明神山から10km地点)で確認します。
4カ所のポイントを巡ります。
また、12月15日には(第4烽)を、(明神山から20km地点から確認します。)

まずは、第1回目(11月12日)の参加者を募集します。
参加ご希望の方は、両槻会事務局宛にメールでお申し込みください。お待ちしています。


明神山烽火のイベント開催概要

13.2km離れたポイントから見る明神山方向

烽火は、明神山にて10時・11時・13時・14時の4回上げられます。移動時間は、昼を除いて各40分と短く、要領よく動く必要があります。ご参加の皆さんは、ご協力をお願いします。
なお、移動の大半は、バス移動になります。