昨日の明日香村発掘調査報告会は、みっちり勉強させていただいた♪毎年のことだけど、資料も充実♪ 木下先生のご講演も面白い♪ 60分では物足りないと思う。ただ、容量の小さなσ(^^)の脳は溢れ出し、思い出せなくなるのだけど。(>_<)
飛鳥時代の大きな舞台として登場する槻の樹の広場。何となく分かりかけてきたように思うのだけど、まだまだ全体像は見えない。木下先生は、水落や石神も含めた地域としてのお話もされていたが、まだσ(^^)は消化しきれない所もある。修行が足りませんぬ。「天智天皇の政治理念・世界観が具現化された場である。」難しい言葉です。時の支配や方位の支配などをσ(^^)も言ったりするけれど、もちっと考えてみなくてはなりませんな。資料をしっかり読んでみましょう。何せ40ページもあり、ぎっしりとテキストや図で埋め尽くされているので簡単ではない。
さて、西方遺跡のσ(^^)の描いた図に、今回の遺構図を描き加えましょう。
描き加えました。すみませんが、無断での転用・転載はお断りします。
飛鳥寺南の石敷とどう繋がるんだろうか。やっぱ道路下あたりが知りたいな。槻の樹の広場って本当に囲いが無いのだろうか。あけっぱ? 数百人とか集まるときは広場でも良いかも知れないけどさ・・・、幕みたいなんで仕切る場合もあるのかな?とかとか。 壬申の乱の時の軍営なんて、イメージ的には塀くらい有ったように思ってたんだけどね。(^^ゞ