2018年1月31日水曜日

勉強もする

安静なんて不可能ですね! (笑) 笑うしかない! まっ、出来るだけという事で。

定例会が目前ですが、準備はよっぱさんが完璧に進めてくれています。σ(^^)は事前散策の担当箇所だけ。定林寺と川原寺北限の所です。定林寺は、喋るの初めてかな? あまり分かっていないお寺跡なので、適当に・・・ こらっ! (^^ゞ 塔跡というか心柱から塑像が出ているのは知っていたのですが、今回、画像を探し出してしげしげと見ていた。奈良博所蔵品です。菩薩像だろうと言われているようなんですが、可愛いい顔をされている。仏像の端正な顔立ちではなくて、人間ぽい顔に見える。それを稚拙と説明されているのだけど、稚拙というのとは違うように思った。まっ、仏像は人間離れしていないといけないようなので、様々な違いが盛り込まれているのだけど、この塑像は人間ぽい。σ(^^)は好きですね。

創建者の候補とされる平田さんって、誰っ! て調べてみたのですが、一人だけ、それも奈良時代で正六位上だということと名前だけが分かった。(^^ゞ 渡来系氏族だという事もなんとなくですが分かった。東漢氏に属しているのでしょうね。檜隅寺と同じ瓦使っていることも手掛かりですね。素弁の十一葉蓮華文です。星組さんの流れの中にあるのかな。という事は、飛鳥時代も早い時期の創建という事に。塔心礎も地下ですもんね。と、こんなことを考えられるようになったσ(^^)。賢くなったもんだ! (笑)

聖徳太子創建の七ヶ寺とか四十六ヶ寺とか言われるようだけど、かなり疑わしい。(^^ゞ
太子建立七ケ寺は『法隆寺伽藍縁起井流記資材帳』によれば、法隆寺・四天王寺・中宮寺・橘寺・蜂丘寺(広隆寺)・池後寺(法起寺)・葛木寺(葛木尼寺)の七つ)なので、当てはめるとすると葛木寺(葛木尼寺)しかない。こちらは、和田廃寺や尼寺廃寺などと言われるので、定林寺ではない。
やっぱ、渡来系氏族平田氏の氏寺なんだろうね。で、明日香村立部って所に有るのだけど、立部氏ってのは居なかったのか? 平田さんの所領は、大字平田だけではなかった? 所領外にお寺を建てるってことはないので、立部さんは居なかったのか。。。?

乳母石とも言われる立石のことは、あまり触れる時間は無いだろうね。まっ、この程度頭に入っていたら何とかなる。(^^ゞ

さて、医者に行ってこよう。


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