2016年12月18日日曜日

行けず!

鳥取の美人も好きです♪ よろしくお願いします。m(__)mイッテラッシャイ!

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風鼓さんの体調が悪く、行かないで!というので、帝塚山大で行われたシンポジウムには行けなかった。(T_T) おりしも八木駅の近くで火事があって、電車も止まる。(>_<) 全てが行くなとσ(^^)を止めているようで、心も折れた。
幸いにも、よっぱさん、らいちさんが聴講していたので、記念品の受渡や支払いも出来たのだけど、なかなか約束をするのが難しくなってきた。(/_;) 
風鼓さんは、夕方から調子が上がってきたので、食事後、よっぱらいちさんと合流して、無事に記念品がσ(^^)に届いたのであります。(^^)

さて、10周年記念宴の案内を出し始めよう。詳細案内も、それに合わせて送信を開始しなければ。こちらは明日になるかな。

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第60回定例会
主催講演会 「飛鳥の土器が語ること」
講師    小田裕樹先生(奈文研)
実施日   2017年1月21日(土曜日)

参加申込は、只今、受付中です。年末年始の慌ただしさで、忘れない内にお申し込みください。

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なんだ土器か! 面白くないや! と思われている方々。そのご意見は、講演を聞いてからにしてください。土器は、様々な遺物もですが、とても雄弁です。彼らが語る歴史を是非聞いてみてください。

飛鳥時代の土器は、5時期に区分されて考えられます。その中で、ⅡとⅢ式と呼ばれる時期に大きな変化があります。下の二つの土器を見ると、かなりの変化があるのが分かります。
左のⅡ式は、丸い底で小型です。右のⅢ式は底が平たく、大きくなっています。この変化は、食文化の劇的な変化を表しているようです。

我が国の激動期である飛鳥時代には、律令国家への過程の中で、大量の官人・役人を発生させました。土器の大量生産や食器の規格化も必要になってく来ます。だからこそ、細かな時期区分も出来るのだと思います。大陸文化の影響を受けて、箸や匙を使うようになると、食器も変わってくるのは当然ですね。Ⅱ式とⅢ式の変化は、それを表していると考えられています。手に持ちやすい形から、膳に置いて食べやすい形への変化。手づかみから、箸を使う食文化の変化なのでしょう。それは、何年ごろ? はい! 答えは、小田先生からお聞きください。(^^ゞ 

飛鳥や藤原宮からは箸はほとんど出土していないのですが、それもまた面白いテーマではないかと思っています。平城宮からは大量の箸が出てきています。飛鳥時代には、まだ箸を使っていなかったのではないかと疑問が出てきますが、どうしてなのでしょうね。土器の変化と矛盾する結果になりますが、その辺りもまた好奇心をくすぐられる思いです。早く、小田先生からお聞きしたいものです。

また、これらの土器は、何処で作られていたのでしょう。愛知県産が多いというニュースが発表されたのを思い出しますが、こちらは、次号飛鳥遊訪マガジンの咲読にて、yukaさんが愛知県の土器生産体制を纏めてくれています。なかなか面白い発表になっています。2回に分けて掲載しますので、お楽しみにしてください。σ(^^)はマップ作成だけです。(^^ゞ 

「飛鳥の土器が語ること」、是非、ご参加ください。(^^) お待ちしています。