2016年2月20日土曜日

下見行追記 (追記の追記)

一昨日の風の書では、外山(とび)のお寺を飛ばしました。何もないから飛ばしたわけではなくて、実は隠れメインと言っても良いかもしれません。

 真言宗 藤原山外山不動院 
外山 報恩寺
外山(とび)という地名・・・・・、語り始めると長くなるのでカット。m(__)m

どちらのお堂にも、平安時代の立派な仏像(重文含む)が収められているのですが、「粟原流れ」などと言われ、粟原廃寺に元々は祀られていた仏像ではないかと言われているのです。
粟原寺は、昨日の咲読にも書かれていましたが、中臣大嶋が天武天皇の皇子である草壁皇子の為に造立を発願し、比売朝臣額田(額田王かとの説がある)が後を継いで和銅8年(715)に竣工、金堂に丈六の釈迦像を安置したとされるお寺です。国宝三重塔状鉢(国宝)銘文が、そのような創建由来を語ります。
今回、この二つのお寺と石位寺を許可を得て拝観することにしています。良い機会ですので、こちら方面に興味のおる方もお越しいただければと思います。また、今回の担当者の努力と熱意を感じ取っていただければと思っています。
桜井魚市場の跡
こんな時にしか見に行かないと思うのですがm(__)m、こんな場所にも目を向けることにしました。

旧桜井町の本町通りと立小路町とのT字路あたりは魚市場のあったところで、かつては藤堂藩の宿場として栄え、市場としては古いものの一つである。吉野から多武峰をへてかついできた熊野鯖は名物のひとつであった。(桜井市公式ホームページから引用)


余談
外山ですが、「と」は読めますが、どこが「び」と読める?(爆) 知らないと絶対読めない地名の一つですね。「とび」と呼ぶ地名があって、漢字は後で当てられたのでしょうけど。。。。
「外山」と書く地名は、「とやま」「そとやま」などと読んで、結構あります。
で、桜井のは、「鳶」・「鵄」なんだろうと思ったりします。鳥のトンビです。神武天皇が東征の折、最初に大和に入ったのは、この辺りの地とされるし、弓の先に金色の鳶(金鵄)が飛来して勝利をもたらしたとされますので、そのようなことが地名由来なのかな。単に、もともとトンビの多い所なのかも知れませんね。(^^ゞ ちなみに、外山の南の山は「鳥見山」と言います。こちらも、神武天皇絡みの伝承の有る山です。(神武天皇が皇祖神・天神を祀った場所である霊畤(まつりのにわ)伝承) 

山の上から見た景色は、大和盆地を見晴るかし、まるで鳥(トンビ)の目で見たようだと言う意味なのかも知れませんね。(笑) 鵄 → 鳥見 → 外山 なのか。
『日本書紀』の神武地名伝承では、似たようなことが書かれています。

もう一つ、桜井には「戒重(かいじゅう)」という地名があります。「いましめる」「かさねる」!は、σ(^^)が住むのに良さげな地名です。(爆) が、昔は「開住」などと書いたとか。新開地なのかなとか思ったりしました。地名は面白い!

奈良時代の初めに、好字令というのが発令されます。(和銅6年(713)には「畿内七道諸国郡郷着好字」) このとき、2字で地名を書くようになったりするので、好字二字化令と呼んだりするようです。この影響が、難読地名を生み出したと言われることが有るのですが、皆さんの周辺にも読めない地名、面白い地名は有りますか? 探ってみると面白いかも。