2015年10月25日日曜日

市民大学ウォーク

40名を超える参加者がありました。久しぶりの当麻地域を快晴の中、楽しく歩いてきました。(^^)
有名寺院と廃寺という、これまた楽しい組み合わせ。(^^) で、分かりやすい解説付き♪&資料付♪ 

加守廃寺北遺跡、塔基壇跡。
東を向いていたとか。二上山の雄岳を背負って建っているのだけど、地形としては狭い谷になっている。こんなところに、どうして塔だけが別に建っていたのだろうか。やっぱ大津皇子に所縁が深い?

加守廃寺南遺跡 長六角形の特殊な建物が在った。
草が茂っていて、当時の面影を偲ぶのは難しい。ここも、北遺跡の一つ南の狭い谷に在る。やはり二上山を意識した立地だな~と。義淵さんとか、大津皇子とか、有名人にも所縁の寺としては、草刈くらいはして欲しいなと言うのが正直な感想。(^^ゞ 
 牡丹の寺として知られる石光寺。
 知らなかったのだけど、この右側に塔跡が残っている。
創建当時は、南面する法隆寺式伽藍配置とされるが、現在は東に向く門が開いている。弥勒石仏を本尊とする天智天皇の勅願寺だとする縁起がある・・・。なお、発掘調査が行われており、弥勒と推定される石仏が出土している。
最終目的地の当麻寺と、ほぼ中心軸が南北に連なり、当麻寺との関連が注目されるとの解説が有った。僧寺と尼寺。

只塚廃寺金堂跡
二上山を背景にした小円墳のように見える。実際に発掘調査がされるまでは、首子塚7号墳とされてきた。調査の結果、礎石建物基壇であることが分かり、建物規模は東西12m、南北9.5mに復元される。他の堂宇が検出されなかったため、金堂だけの寺であった可能性も有るようだ。
また、7世紀後半の創建だと考えられているのだけど、7世紀前半の瓦も出土しているため創建期が遡る可能性があるとのこと。当麻寺の前身寺の可能性も・・・との話も聞けた。


首子塚古墳群
十数基の古墳で構成される6世紀から7世紀前半に造られた古墳群。当麻地域に居住した当麻氏の墳墓だとされる。

 当麻寺
予定通り4時30分に当麻寺に到着。足の速い夕陽に追われながらの到着。当麻での説明と纏めの話が有りました。史料によると、用明天皇の皇子である麻呂子親王の発願による創建とされ、天武10年に当麻真人国見によって、現在の場所に移されたとされるようです。只塚廃寺からかと推定されるとの解説。
夕暮れが迫り、白い月が上ってきたところで解散となった。

楽しい説明と暑いぐらいの好天。楽しい一日をありがとうございました。解説の清水昭博先生に感謝。m(__)m