2015年1月19日月曜日

小山田遺跡

現説行ってきました。現地到着14:00頃でした。岡寺駅から列ではないけど、電車に乗り合わせた方々が、ずっと並んで歩いている感じ。現場の列にそのまま並ぶ。(笑) 説明はすっ飛ばした。(後で、聞きに戻りました) まずは、見たいやん! 1班10分で、現地見学になっていて、3班待ちだった。配布された資料などを読みながらだと、さほど苦痛って程ではなかった。というより、知り合いの先生方がずらっと居られたので、働きっぷりを観察させていただいたりした。(笑) みなさん、良く働く! お天気が良かったので、皆さん厳冬期のように眼だけ出しているってことではないので、誰かすぐに分かった。(^^ゞ タオルとか巻かれたら誰か分からん! (笑)

順番が回ってきて、10分間の見学。結構、しっかり見れる。思ったことは、これ古墳なん?ってこと。
西から
古墳だとすれば、この南(右)側に墳丘が有ることになる。左側には、飛鳥石が綺麗に貼り付けられていた。

北から南の護岸
テラス状に並べた飛鳥石の上に吉野の緑泥片岩、その上に榛原石が10段くらい残っていた。積み方は、綺麗だった。丁寧な仕事に見える。北側と南側は全然印象が違う。こういうのにも意味が有るんだろうね。

気になっていたことを、K先生を捕まえて聞いてみた。舒明説だと関係ないんだけどね。(^^ゞ 菖蒲池との方位なんですよね。現説資料から見ると、実に微妙。調査区の形からは、若干違うように見えるのだけど、遺構そのものが調査区の形からずれているので、この図面上ではわからん。

で、微妙に違うようだ。どこまでを誤差とするのかとか、どの辺や地点をもって判断するのかとか、一概にどうとは言えないみたい。そうだよね。(^^ゞ 
双墓としたら、少し離れているのかなとも思ったりした。

やっぱ、初めの疑問点に立ち返る。古墳なん?  古墳だとしたら、こちらは裏側になるので、南側を見てみたい。掘ってください!
現説会場のパネルより。小山田遺跡イメージ図。
左上の二段築盛に描かれた墳丘は、まったくの想像なので、消したほうが良くないか?(笑) 
飛鳥は、掘れば掘るほど謎が深まる。飽きないですね。(笑)

特に約束をしなくても、会う人には会える。(笑) 同班には、ガッキー君が居た。説明場所に戻ると、よっぱさん、らいちさん、ぷーままさん! (笑) なんだか昨日の続きみたいになりました。(^^ゞ
あっ、岡寺駅では、ウォークマンさんがお手伝いされていた。もちろん、佐々木先生も受付付近に。

σ(^^)は、丘の続き具合を見たかったので、裏道から菖蒲町に出て帰りました。約2時間半ほどの飛鳥でした。(^^)


今週末予定

土曜日
帝塚山大学の市民大学講座
「漆の食器」
講師 大阪市立美術館 学芸員 土井 久美子 先生

ちと、所要も有る。