2015年1月16日金曜日

小山田かぁ!

敷地の北の方なんですかね。行ってみないと、細かくは分からんです。

昨日見ていたのは、某大の小字データベースなんですけど、現場の南の方を見ていたようだ。完全に機密扱いになっていて、現場がどこかも分からなかったものでね。(^^ゞ 妙にでっかい白いフェンスを見ただけ。(^^ゞ 普通の工事現場なら、工事責任者とか書いてますよね。その認可証がなかったので、怪しく思っていただけなんです。(笑)   まっ、結果的に当たっていたのですけど。(^^ゞ
坂乃茶屋さんに行ったとき、帰りに菖蒲池古墳の先から五条野に入ろうと思っただけだった。今回、風の噂もほとんど聞こえてこなかったよなぁ~。余計に、妄想が膨らみかけていたのですが。(笑)

さて、一晩明けて、やっぱ舒明はないよなぁ~と思っている。舒明さんて、なんだか影が薄いのか、中大兄のパパだとかってことでしか一般的には知られないようだけど、この方、実は後半は、いろいろと仕掛けてはる印象が有ります。蘇我真っただ中の岡に宮を置くけど、自分では飛鳥を出て百済に移ったり、その横に建てようとした大寺の瓦を蘇我のイメージが強い素弁から単弁に変えてるし、伽藍配置も四天王寺式から法隆寺式に変わった。この方、実は頑張ってはったのかも。
その方が、甘樫丘の延長みたいな丘にお墓造るだろうか?

一方、蝦夷なら、大陵とか呼ばせたとかなんだとか、結果的には乙巳の変を呼んでしまうような反感を得たのだとすると、巨勢とか葛城など都から離れているような場所ではなくて、まさにあの場所だったとすると合点がゆく。そら怒るで! 飛鳥から紀路に出て行くメインストリートに面してる。川原寺と橘寺の間の道沿いなんやもん!
そう思うと(考えるとではない)、某研の見解に逆らうけど、蝦夷が良いのではないだろうか。

考古学的なデータが分からないし、榛原石なんって古墳の石材にもほとんど知識がないので、なんとも言えないのだけどさ。榛原石って、薄く割れるんでしたっけ。花山東とかで見たような。(^^ゞ


昨日は、エラいたくさんのアクセスがあった。検索ではなくて普通に見てくれてはる方々が、何かニュースが出てないかって見に来てくださったのかな? ちとびっくりしました。(^^ゞ