2014年8月3日日曜日

飛鳥京跡苑池遺構

昨日の土曜講座は面白かった。初めて、中島の断割り調査や謎の土坑について、担当者が触れられた。40分ほどの短い時間に8次調査を振り返るのだから、こちらの頭もフル稼働しないとなかなか難しい。
しかも、パワポ画像を見やすくするために、場内は暗くて、自分が書いた物すら見えない。(-_-) メモが・・・。で、まだ、上手くまとめられてない。もどかしい!

中島の断割りから、島の内部(中)に、一回り小さな島が有ったことが分かった。つまり、ある時期に盛り土をして島を今見える形・大きさに造り替えをしているという事。
島の下部には、土坑が無かった。中島の下には、整然と並ぶ土坑が続いていると考えられていたのだけど、それは存在しなかった。土坑群が先行するのではなくて、中島(新)の周辺に取り巻くように造られたという事になる。島を取り巻くテラス状(舞台状)の物と考えられ、短期(一時)的に造られたと考えられる。土坑の断割りでは、柱穴から池の堆積物が見受けられるので、池として時間が経過した後に掘られた穴と考えられるようです。
そのテラスが取り除かれた後に、柱が残っていたのを含めた4本の柱の小さなテラスに造り替えられた。

と、このようにσ(^^)は聞いた。間違っているかもしれないけど。(^^ゞ 

中島(古)の時期 → 中島(新)+周辺の柱列(テラス) → 中島(新)北の柱列 という3時期の変遷があった。40~50年ほどの年代差ではないかとの話だったが、2番目は短期だとされた。
中島のテラス(舞台)では、儀式や宴が行われたのではないか。

2番目の時期が短期と考えられるのは、曲線的に造った中島に長方形のテラスをくっつけては、造詣の意味が無くなる。また、池の水面が特に南池の北側では見えなくなってしまうことになるため、一時的なものと考えられるという事でした。

他にも、各方向の護岸や岸辺についても時期による変遷が有った事が説明され、何度かの改修が有った事が分かってきた。

何のためのテラスだったのでしょうかね? 宴会? 鴨川の床みたいに? 護岸との関係も有ると思うけど、池中からはそんなに景色は広がらないやろな。むしろ狭苦しくないか?
舞台だとしたら、どこから見たのでしょう? 南東の高台から舞とか演奏を見るとしたら、建物とテラスの方位が違うよね。これも、建物の時期とかにも関係するのだろうけど。やっぱ儀式なのか? そんなことを思っていたら、講座は終わっていた。
頭がまとまっていないので、質問も出来なかった。(-_-) クヤシイ! 東影先生なら、直接お話を聞けたのだけど、何も言葉に出来ず、ご挨拶だけして講堂を去った。

もう少し頭が働いてくれたら、もっとイメージを作れると思うのだけどなぁ~・・・・。
ペーパーで、まとまったものが欲しいな! 一度っきりの聞き取りでは、理解がなかなか進まない。(-_-) レジュメにも文字が無かったので、思い込みや聞き違いが無ければ良いのだけど。

デジタル朝日に記事が出ていました。大きくは間違いはなかったので良かった。(笑)
http://digital.asahi.com/articles/ASG703VGJG70POMB001.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG703VGJG70POMB001
数字などは、記事を読んでね。

南岸・東岸のテラスは、観客席?って書いてますね。(^^ゞ 東はともかく、南は違うんやない? だって、石造物が有るよ! 石造物を使っての祭祀や儀式の場と考える方が良くないだろうか。。。。と、風人は思うのだけど。


第47回のチラシを掲示していただくようにお願いしてきた。
けど、飛鳥資料館には、行くことが出来なかった。本日、抜け出せればよいのだけど。。。
無理か・・・。
行ければ、少し歩き回りたい気もする。で、白いテントを見つけたい誘惑も有るのです。(笑) 

 ポテトベーコンのマヨチーズ焼き
茄子の豚肉巻照り焼きと水菜とツナのサラダ
茄子の豚肉巻の向こうに見えるのは、長芋です。少し残っていたので、一緒に。
頑張って、作っています。頑張らないと作れないのだけど。(-_-)

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