2013年2月11日月曜日

風人もムムム・・・の巻

昨夜、悪寒が来たと思ったら関節や足が・・・。感染源は某坊先生ではないかと疑う。(笑) まっ、人の多いところに、度々・長時間いましたからね。それが原因でしょう。発掘調査報告会が濃厚か?
今日は微熱があるものの、結構回復の兆し。おとなしくしてます。某坊先生も、早く治りますように。(-人-)

さて、昨日は、名張まで行ってきました。午後4時から始まる講演会と対談。終了は18時30分。森先生・名張・夏見廃寺でなかったら行っていないと思う。
ご挨拶した森先生が、驚かれていた。少しお話もさせていただいて、先生のストーカーやってますって言ったら、可愛い笑顔オイ! を向けてくださる。失礼だけど、こういう時の森先生はめっちゃ可愛い。
内容もとても楽しかった♪ 夏見廃寺だから、大来皇女の話も出るのかと思っていたけど、森先生は、最後に1回だけ名前を上げられただけ。(^^) 名張市や参加者へのリップサービスは無し。(笑) 良いですね♪ 
夏見廃寺=昌福寺って決まったようになっているけど、確証なんて無いですよね。σ(^^)は単に、夏見氏の氏寺に、壬申の乱の功績もあるので官から瓦や技術者の援助があったのだと考えたいのですが、森先生も鎮護国家思想と相まって、畿内の東端の要の位置なので官の支援があったのだろうというようなお話だった。
で、そのお話の中で、お寺は単なる宗教的施設にとどまらず、重要な軍事拠点でもあるとお話だった。頑丈な柵・塀・築地塀で囲まれた建物は、そういう用途もあるのかと思うのだけど、夏見廃寺の立地って、軍事拠点には向かないのではないかと風人は思いました。東海道の推定ラインに背を向けていること。東海道からは丘陵の反対側の斜面にあるので、防衛拠点にはならないのではないかなと思った。丘の上から攻められたら具合悪くないですかね。(^^ゞ と、名張川の右岸に在るのも気になるのです。名張の駅舎とか郡家跡って言われる遺跡は、左岸にあるみたいですから、連携しての防衛拠点なら左岸に造るべきやないかと。
夏見氏の根拠地だと聞いている鴻池遺跡も、夏見氏の台頭や衰退と合わせて動きがあると教えてもらったことがあります。奈良時代には、伊賀氏が勢力を増すと聞いたので、お堂だけやった夏見廃寺を、二次・三次拡張造営したのは別(伊賀氏など)の誰かなんだろうか。まだまだ謎が多い夏見廃寺でした。楽しい♪

で、ショックなことが。σ(^^)が少年期を過ごした家が無くなっていた。(T_T) 詳しく書くと私の正体がバレる可能性も有るが、育った家は改装されて喫茶店になっていた。我が家の庭に育っていた桜の樹2本も残っていて、名張に行けば懐かしい思いをしていた。昨日行くと、喫茶店は無くなり駐車場と化していた。(-_-) 桜も1本に。(-"-) 知り合いのお家は居酒屋になっているし、やはり50年の月日は多くのものを変えてしまう。
しかし、名張市のドーナツ化現象は、幼かったσ(^^)の記憶を消してしまうには充分だった。あまりにも寂しい。昨日は、センチメンタルになっていた風人でした。