飛鳥京跡苑池現説に行ってきました。暑かったよ! 12~300人ほどが炎暑の中を来られたようです。橿原神宮東口からのバスは、満員で座れなかったほど。σ(^^)は、運転手さんの案内を無視して、甘樫丘で下車。丘の影を伝いながら西から現地へ。バスで岡恵比寿まで行った人より5分早く、13:00の説明に間に合いました。(^^) 正解でした♪ で、説明と見学を終えて、帰ろうとしたときに、Yさん、Lさんにバッタリ。で、もう1回説明と見学。(笑) 炎天下1時間半ほど現地に居ましたが、バテることも無く、過ごせました。
印象に過ぎませんが、やっぱ酒船石遺跡に似ている。湧水施設は、斉明朝から、つまり、この苑池遺構と同時に造られたようです。大きな石を使った天武朝改修の石敷きの下には、斉明の遺構がある。
亀が居ることと居ないこと。この意味は? 遺跡の格? 酒船石遺跡は、某坊先生の仰るように大嘗宮なのか。なら、なんとなくとしか言えないけど、よく似た祭祀の場所が2カ所あっても分かるような気もするのだけど。。。。
やっぱ、テーマは、「亀」だよな~! (笑) しつこい! と怒られそうだ。(^^ゞ
で、疑問が! それは後に。まずは、この土器から。
現説風景
ミスト付きの扇風機
現説では、S先生、K先生、もう一人のS先生にお世話になりました。T先生は南の辻立ちをされているとのことで、ご挨拶できませんでした。猛暑の中を長時間、ご苦労様でした。m(__)m ありがとうございました。
で、疑問点。
(教えていただきました。木樋は、平安時代の物だそうです。ので、疑問は解消しました。ありがとうございます。m(__)m )
北の排水路に水を流すのにも木樋が使われていたようです。写真的に撮りにくい場所にあったので、分かり難いけど。木樋の北池側の口です。北池は、池ではなかった。のに、石敷きより高い所に排水口がある。しかも、これは天武朝の石敷き。だったら、斉明朝は底がこれより低いのだから(階段2段分)、どういう役目を果たしていたのだろう? 洪水時のみ? 南北石組溝との連結もよく分からない。ズレているように見えるしね。
北池の西半分も、早く見たいものです。
反対から見た木樋
他にも、いろいろと分からないところがあったのだけど、旬を楽しみに待とう。幾つかの答えは得られることだろう。m(__)m よろしくお願いします。
分かり難い写真だけど、この地では、1300年変わることのない湧水を見ることが出来ました。澄んでいて、水が分かり難いですね。酒船石遺構の辺りから流れる伏流水があるのでしょうか? それなら、尚、面白いのですが。(笑) まっ、方位も違うので、その水ではないでしょうけどね。
全くの中間発表(笑)
苑池の全体図をここまで描きました。赤の点線が今回の13次調査区。早く、北池の全部が見たいものです。
さて、これから、超細かな作業を開始します。これを含めて、後2枚。
さて、これから、超細かな作業を開始します。これを含めて、後2枚。