風の書

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2026年2月21日土曜日

道長の飛鳥行 5

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 堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及 2 その4を簡単にまとめ直していますので、 内容的に重複している箇所があります。m(__)m その5は、系図下より始まりますが、出来ればトップから。 「堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及。」 さて、皆さんは、これをどう読みますか? これは、道...
2026年2月20日金曜日

道長の飛鳥行 4

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 「堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及。」  さて、皆さんは、これをどう読みますか?  道長が、山田寺来訪時に語ったとされる言葉ですが、扶桑略記には、「十九日。堂塔を覧る。 "堂中以奇偉荘厳。言語云黙、心眼不及"。 御馬一疋を権大僧都扶公に給ふ。」とあります。...
2026年2月19日木曜日

道長の飛鳥行 3

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  間違いじゃないかな?  山田寺の報告書を読んでいて「おや?」と思ったこと  2002年に発行された『山田寺発掘調査報告』を、冬期オリンピックの熱戦を応援しながら読んでいたのですが、第Ⅱ章の「山田寺の沿革」で、どうしても手が止まってしまいました。  今、ちょうど一番関心がある部...
2026年2月18日水曜日

道長の飛鳥行 2

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道長の飛鳥行 2 山田寺での宿泊  治安3年(1023年)、藤原道長は高野山参詣の途次、山田寺を訪れて一泊しました(『扶桑略記』)。  山田寺は、舒明天皇13年(641年)に蘇我倉山田石川麻呂が発願し、氏寺として建立を開始した寺院です。大化5年(649年)の石川麻呂の自害により造...
2026年2月16日月曜日

道長の飛鳥行 1

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道長の飛鳥行 1  藤原道長は、寛弘4年(1007年)、42歳の時に大和国の金峯山(山上ヶ岳)へ参詣し、自筆の経典を埋納する「金峯山詣」を行いました。当時の実権掌握者であった道長が、極楽往生や家門の繁栄を願い、険しい修験の聖地へと挑んだこの旅の様子は、自身の執筆による『御堂関白記...
2026年2月11日水曜日

『日本霊異記』第三縁 飛鳥弁訳

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飛鳥弁訳 (飛鳥地域の方言を強調して使用しています。) 『 日本霊異記(日本国現報善悪霊異記 )』  上巻 第三縁 「雷の憙 (おむがし ) み < 喜び>   を蒙 (こうむ) りて、生まれた子に強い 力のあった話」  これな、ほんまに昔の話やと、飛鳥ではそう...

和田池という「終着点」

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和田池のまとめ . なぜ和田池は「終着点」に選ばれたのか 和田池が単なる農業用の溜池ではなく、飛鳥時代の大規模な導水システムの終着点であった可能性を考えるとき、鍵となるのは「なぜ、数ある場所の中で和田なのか」という点です。この問いは、地形条件・水利技術・政治的空間の三つを重ね合わ...
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