2012年10月3日水曜日

風邪引いたみたい

ダウンするほどではないけど、風邪を引いてしまったみたいだ。

最近、9時頃に恐ろしい睡魔に襲われる。立ってても一瞬寝る!危ないったらしようがない。(-_-)
動いているときは、まだ凌げるけど、座っているともうダメ。(-_-)zzz 
昨夜も危なかった! 何とかしないとね。


風鼓さんが、ぷいぷいで自家製なめたけを作っていたというので検索。簡単なのは知っていたけど、ここまで簡単とは。(^^ゞ ということで、早速作る♪ この間作ったホウレン草とエノキの煮浸しと同じやん! 1週間ぐらい大丈夫みたいだから、役立つだろう。

一週間の食材を買った。木曜日は秋鮭のチャンチャン焼きだ♪ これはお隣さんからのアイデア。助かる♪ Aじの素やkコウマンのHPの一週間の献立とかを参考にしているのだけど、食材の使い回しをしないといけないので、あまり役立たない。ベテラン主婦の皆様、裏コメントで良いので、料理のヒントや紹介をお願いします。m(__)m あっ!柔らかくないとダメです!


出来る範囲でだけど、保津・阪手道をちゃんと考えてみたいなって思う。もちろん考証なんてことではないけど、なんか気になってます。道があって、開発が進む。開発の必要があって、道が整備される。あまり知られていないけど、保津阪手道って今まで思っていた以上に重要な道路だったのかも知れないと思い始めた。遅いんだけどね! 
まっ、着想までは良かったと思うので、もう少し考えたいなって思うんです。

「坂手」は、間違いです! 正しくは、「阪手」ですね。m(__)m 修正しときます。

師匠からも連日のコメントをいただいて、より興味が沸いてきた♪

押坂彦人大兄皇子の押坂は、桜井市忍坂と無関係ではない。ここには、孫である舒明天皇の陵があるし、忍坂部の存在も見逃せない。一方、水派宮は比定地が分からないけど、片岡・広瀬・河合のどこかにあったと思われる。両所を結ぶには、保津阪手道の存在が重要だと思う。
師匠の教えに頼るのだけど、河内と大和を結ぶ重要な拠点「片岡」と当時の大和の拠点「海石榴市」を結ぶ道が造られた。周辺の要所に敏達王家が進出していった。片岡を抑える意味は、まさにそれだったように思う。
その点に関しては、ご案内いただく清水先生に書いていただいた定例会概要にも盛り込まれていることだ。片岡は河内への玄関口である! このあたりをしっかり押さえておかないとダメなんかなと。

地図を見てみると、大和川の水運を使うにしても、道路を使うにしても、斑鳩より片岡の方が優れているのは一目瞭然である。聖徳太子の斑鳩進出はよく語られるが、敏達王家の片岡進出もまた同じ理由による。敏達王家が上宮王家よりも、一歩先んじたのかも知れない。

あっ! この内容は、第35回定例会に直接的には関わりません。風人独自にお勉強というか妄想話です。m(__)m