敏達王統って、広瀬・河合・片岡辺りを開発してたんだろうなぁ~。蘇我や上宮王家に匹敵するくらいの経済基盤があったのかも知れないな。独立したでっかい経済基盤を持っていたから、乙巳の変なんて後に起こせたのかも知れんね。
飛鳥・斑鳩を除いたら、その辺りが一番開発の余地を残してたのかも知れん。上宮王家との開発競争もあったかも知れないが。
押坂彦人大兄皇子なんて、あまり馴染みの無い人もいるかも知れんが、この人あたりがその先陣だったような気がしている。水派宮なんて造って住んでるしね。
と、第35回定例会に向けてのイメージ作り。(^^ゞ
そんなことを考えてたら、百済大寺って、こっちにある方が理屈には合うように思う今日この頃。(^^ゞ まだ見知らぬ巨大寺院が眠っているかも!(笑)
忍坂部や丸子部って、何? 「皇祖大兄御名入部」なんて、調べてみたら面白いかも知れん。
と、もう少し細かく系譜を追いかけてみようかな。
瓦やお寺は、お隣さんに任せて、σ(^^)は独自の道で勉強しましょうか。(^^ゞ 保津・坂手道の西の方も気になっているんですよね。
そろそろ、σ(^^)も勉強しましょ♪ という思いの記事でした。(笑)