岡一彦先生のお陰で、たっぷりと泉南市の歴史を学び、楽しい6時間+移動時間+αを過ごすことが出来ました。
先生、ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。m(__)m
海会寺跡の復元や出土遺物を見て、地形を丁寧に復元していただきつつ説明をお聞きすると、とても理解が進みます。やっぱり現地・実物を体感しながら学ぶことは大事ですね。
駅を出ると、早速妻入りのお家
復元されている海会寺塔基壇
海会寺講堂跡と回廊の復元
講堂跡から塔基壇
地形も分かる海会寺復元模型
金堂のものと思われる礎石(移動している)
海会寺の屋根を飾った軒丸瓦
こんなに完形で残っているのは、とっても珍しい
講演風景
飛鳥時代の後半に創建されたとする海会寺は、創建当時の寺院名も分からないお寺。何のために、誰が?
百済大寺から四天王寺を経て海会寺にやってきた瓦范を使い、伽藍を持つ大きな寺院。国家の大きな力添えが無くては、このような寺院を作ることは出来ないだろうと思うのですけど、考えれば考えるほど謎が出てきます。
どうして伽藍が歪んでいるのだろう? 塔と金堂は屋根を接するように近い。講堂は小さい。
丘を整地して、やっとこの広さを造り出したからなのだろうか? では、なぜこの狭くて谷地形に囲まれた場所を建設地として選んだのだろうか・・・。先生がおっしゃったように、古代寺院は当時最も優れた防御施設でもあったわけで、そのために防御に適した地形が考慮されているのだろうか。
逃げ城のような施設であったとしても、誰が誰から守るのだろう? 百済の滅亡後の守り?
謎は楽しむもの、答えを急いではいけないように思います。様々な可能性を探りながら、答えに近づけたらなと思うのです。そのことも、教えていただいた気がします。
とにかく、第53回は楽しい定例会になりました。先生!参加の皆さん、ありがとうございました。
百済大寺から四天王寺を経て海会寺にやってきた瓦范を使い、伽藍を持つ大きな寺院。国家の大きな力添えが無くては、このような寺院を作ることは出来ないだろうと思うのですけど、考えれば考えるほど謎が出てきます。
どうして伽藍が歪んでいるのだろう? 塔と金堂は屋根を接するように近い。講堂は小さい。
丘を整地して、やっとこの広さを造り出したからなのだろうか? では、なぜこの狭くて谷地形に囲まれた場所を建設地として選んだのだろうか・・・。先生がおっしゃったように、古代寺院は当時最も優れた防御施設でもあったわけで、そのために防御に適した地形が考慮されているのだろうか。
逃げ城のような施設であったとしても、誰が誰から守るのだろう? 百済の滅亡後の守り?
謎は楽しむもの、答えを急いではいけないように思います。様々な可能性を探りながら、答えに近づけたらなと思うのです。そのことも、教えていただいた気がします。
とにかく、第53回は楽しい定例会になりました。先生!参加の皆さん、ありがとうございました。
さぁ! 次に進みましょう。